19 戦時中に新潟市東区に存在した捕虜収容所跡地に石碑設置の検討を
最終更新日:2025年11月27日
受付日:令和7年2月 年齢:60歳代
ご意見・ご提案
今年は被爆と戦後80年に当たる記念すべき年です。そうした年に、非核平和都市宣言をしている新潟市として、どんな取り組みを行うかということは、後世にも足跡を残す意味で重要であると思います。
私は、新潟市で数人の仲間と、小さな平和サークルを作って取り組みを細々ながらやっています。昨年8月に、新潟市にも戦時中、捕虜収容所が2か所、東区にあったことを偶然知りました。インターネット等で情報を集めてみましたが、記念公園が整備され、捕虜であったオーストラリアの方々との交流まで行っている上越市直江津とは全く異なり、新潟市ではその存在すら知られていないことに驚きました。
そこで、全国的に捕虜収容所について調べている団体から情報をいただきつつ、長年中学校の社会科教師をしていた先生に頼んで学習会を行いました。私たちと全く面識のない方々も含めて、予想外の37名もの方が集まってくださり、関心の高さを感じました。
講師の先生も、歴史を調べつつの学習会でしたので、その折は、そうした捕虜収容所が東区に2か所あったこと、劣悪な環境の下で捕虜が港湾や工場で労働に従事していたことなどの、歴史的な事実を確認するにとどまりました。
そこで、先日同じ先生を講師に、少人数で学習会の続編を行いました。そこで話題になったのですが、新潟市では、直江津と異なり、捕虜だった方々と交流するというようなことにはなかなかなりそうにはないが、捕虜収容所だった場所に、記念碑とは言わないものの、「○○跡」という石碑すらない。この点は何とかならないものかという話になりました。
新潟市は、非核平和都市宣言の中で、「現在の私たちの暮らしが、戦争による多くの方々の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。そのことを後世に伝えていかなければなりません」とうたっています。
また、戦後50周年事業として、1998年8月10日に、水戸教公園に「平和記念碑」を建立し、現在、毎年「平和記念碑献花式」を行い、第二次世界大戦でなくなった人々に対して哀悼の意を表するとともに世界の恒久平和を祈念しています。
それと同程度とはいかないでしょうが、新潟市に起きた戦争の爪痕を掘り起こし、新潟市の歴史に残す事業を、戦後80年にあたり新たに開始し、その中に、東区内の2か所の捕虜収容所があった場所に、必要なら地権者とも交渉を行い理解を得て、小さくてもよいと思いますので、そこにそれが存在したことを示す石碑を建てられないものでしょうか。
以上を、中原市長の戦後80年に当たってのレガシーとして検討していただきたく、よろしくお願いいたします。
回答
はじめに、貴団体において、新潟における戦争の歴史の普及活動に取り組まれていることに敬意を表します。
お手紙をいただいた捕虜収容所につきましては、毎年8月に実施している「新潟の戦争の記憶をたどるツアー」や本市が発行している「新潟歴史双書 戦場としての新潟」、パンフレット「平和への願いを語りつぐ」などにおいて紹介されています。また、戦後80年の本年は、市民を対象として新潟市歴史博物館の学芸員による講演を予定しており、その中でも語ってもらうことを考えています。
ご指摘の捕虜収容所について、まずはその存在や歴史を広く市民の皆様に知ってもらうことが大切と考えています。そのため、ご提案いただいた石碑につきまして、現時点で設置の予定はありませんが、引き続き様々な形で同収容所について市民への周知に努めてまいります。何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。
回答日:令和7年2月
担当課:総務課
このページの作成担当
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電話:025-226-2094 FAX:025-223-8775

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