能登剛史の夢
安吾も踊る下駄踊り
形式張った伝統を安吾は嫌ったが、新潟の下駄おどりの再興には眼を細めたのではないだろうか。囃子に使う樽砧には明和義人の逸話もあり、新潟の町衆の心意気のようなものが響いてくる。祭りの再興は、新潟の精神性の再発見ともいえる。雪と酒のイメージをひっくり返す大事件。
夢に向かって一心不乱に疾走する能登氏と、1万人以上が熱狂的に踊る姿は相似形。 夢を創ることを夢にした能登氏の挑戦は終わらない。
大切な故郷の未来のために
皆で夢を描く。
にいがた総おどりが、10周年の節目を迎えた年に、このような賞を頂き、仲間たちと喜びを分かち合っています。10年前、わずか数人の仲間と夢見たのは、子供たちが本気になれる祭りを作ることでした。仲間と汗を流し、躍動し、感動を分かち合う場。それが終わっても、仲間たちとの絆と、一つのことへ集中することの尊さを心に持ち続けられる場。それが、私たちの目指した祭りの本質です。
何もないところからのスタート。少しでも夢に近づこうと、ひとりひとりが使命感を持って取り組んできました。一人ではできないことを、仲間と共に乗り越えてきました。気がつけば一人、また一人、想いを同じくする同士が増え、10年の歳月が経ちました。
大切な故郷の未来のために、みんなで力を合わせた祭りが、ふるさと新潟から賞を与えられる。こんなにうれしいことはありません。新潟商工会議所の小嶋一則氏、樽砧の永島鼓山先生、下駄の小林哲男氏、市山七十世先生、激変する経済状況の中で協賛を続けてくれた企業の皆さん、商店街の皆さん、参加してくれた一人一人の踊り子たち。共に祭りを作ろうと立ち上がってくれた同士たち。この賞は、皆で頂きます。そして、私たちに踊りの感動を教え、導いてくれた今は亡き國友須賀氏に、心からの感謝を捧げます。
未来を担う子供たちに感動を!
10年前と変わらぬ夢を抱きつつ、次の10年へ、仲間たちとともに歩んでゆきます。ありがとうございました。
略歴
- 1973年生まれ。秋田県能代市出身。
- 高校生で初渡米、同世代の個性きらめくさまに触発され、18歳でニューヨークへ留学。
- 帰国後、会社勤めの傍ら地域づくりや環境問題などさまざまなボランティア活動を経験。
- 2001年に現代よさこいの産みの親である國友須賀氏と出会い、共鳴する仲間と「新潟総踊り祭」を立ち上げ。翌2002年に新潟商工会議所と新潟総踊り祭実行委員会(会長=新潟商工会議所会頭)を設立し副会長に就任する。同年第1回新潟総踊り祭は50団体2500名が参加。2004年には新潟でかつて行われていた盆踊りを現代的に再現しようと新潟下駄総踊りを制作し県内外、海外でも公演。2010年の第9回では参加者1万3000人、観客32万人、経済効果34億円となる。
- 2011年フランスナント市で現地学生らとフランス事務所を開設。世界発信を目指す。