屋外展示「旧武田家住宅・畜動舎」

最終更新日:2022年3月24日

旧武田家住宅と畜動舎について

旧武田家住宅

 武田家の先祖は、越後に逃れた甲斐国武田一族の武将が、高橋姓を名乗って曽根(旧西川町)で百姓となり、その子初代源助の代に割元役となったと伝えられています。
 そして、またその子の源助(2代目高橋源助 代々襲名)も割元役を務め、地域の開発に尽力しましたが、天和元(1681)年に処刑されてしまいました。その妻と長子は、小中川(現在の燕市)に逃れて、およそ30年後、木場村(現在の西区木場、旧黒埼町木場)に移住しました。その後建てられたものが現在の旧武田家住宅であると伝えられています。なお、「座敷」と「裏中門」は明治時代に入ってから建て増されたと考えられています。
 旧武田家住宅は、裏中門造りの代表的な民家として、昭和45(1970)年4月、旧黒埼町(当時黒埼村)の有形民俗文化財に指定されました。翌年、旧所有者である武田源助氏から旧黒埼村への寄贈を受け、現在の西区緒立流通2丁目にある緒立八幡宮脇に解体移築・整備し、「黒埼常民文化史料館」として公開してきましたが、平成23年に再び文化財センター敷地内に解体・移築したものです。
 西蒲原の低湿地では信濃川・中ノ口川の破堤により、たびたび水害に見舞われました。「ダイドコロ」と「小間」の奥に、水害への備えとして床高を上げて中2階とした「寝間」が2室あります。「裏中門」には、洪水に備えた防災の知恵がよく表れています。

畜動舎

 畜動舎は、明治から昭和初期にかけて蒲原平野の農家の多くに備えられていた牛馬を使う脱穀施設です。電力の導入とともに急激に減少し、現在ではほとんど見られません。旧黒埼村あたりでは「カラカサ小屋」と呼ばれることが多かったようです。昭和47(1972)年8月に新潟市天野の桑野正司氏より寄贈され、黒埼常民文化史料館として旧武田家とともに一般公開されてきました。
 この畜動舎は大正10年頃~昭和12年頃まで実際に使用され、西区板井(旧黒埼町大字板井)の大工、荻野氏が製作したものと伝わっています。

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