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遺跡が語る新潟市の歴史(弥生時代・古墳時代)

最終更新日:2020年5月26日

弥生時代

紀元前500年頃に、灌漑(かんがい)をともなう水稲耕作の技術が北部九州に伝えられました。
その技術は徐々に東日本にも広がりました。

弥生時代のはじまり

弥生時代前期から中期前半にかけては、縄文土器の伝統を残す土器とともに東北・北陸・中部高地・東海の特徴を持つ土器が使われていました。

弥生時代のくらし

西郷遺跡(江南区)では、弥生時代前・中期の層から炭化米3,890粒のほか、ツキノワグマやニホンジカ等の動物の骨464点が出土しています。
新潟市内で弥生時代中期には稲作を行っていたことは、ほぼ間違いありませんが、弥生時代の水田遺構はまだみつかっていません。

高地性集落の始まりと終わり

弥生時代後期になると、30m以上の丘陵上に高地性集落が出現します。新潟市内では古津八幡山遺跡(秋葉区)が代表的な高地性集落と言えます。周囲を環濠で取り囲んであるものもあることから、戦いに備えた集落と考えられています。これらの集落の大多数は、弥生時代終末期には廃絶されます。

古墳時代

前方後円墳に代表される大きな古墳が、畿内を中心に各地で造られます。これは畿内のヤマト政権と各地の豪族との間の同盟関係や主従関係を示すと考えられ、古代国家の支配領域が地方へも及んでいきました。

古墳の造営

市内では8基の古墳がみつかっています。角田山麓の山谷古墳・菖蒲塚古墳(西蒲区)は、日本海沿岸部における前方後方墳・前方後円墳の分布の北限となっています。
また、新津丘陵には円墳の古津八幡山古墳(秋葉区)があり、その規模は60mと県内最大の大きさです。

古墳をつくった集落

古墳に葬られた有力者の多くは、近くの集落に住んでいました。菖蒲塚古墳の近くには御井戸遺跡(西蒲区)が、古津八幡山古墳の近くには舟戸遺跡(秋葉区)がそれぞれあります。

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