2023文化財センター学芸員コラムを更新しました

最終更新日:2024年2月19日

文化財センターでは埋蔵文化財の発掘調査と調査によって出土した土器や石器などの整理作業、民俗文化財の保管・管理を行っています。
普段目にすることがない業務の状況や収蔵品の話題などを文化財センターの職員が不定期にご紹介します。

木簡の実物をご覧いただく絶好の機会 2月19日更新

2月25日(日曜)午後1時から新潟市民プラザを会場に新潟市遺跡発掘調査速報会2023を開催します。調査成果の報告や関連講演会のほか、今年度の発掘調査で出土した遺物の一部をロビーにて展示します。茶院(ちゃいん)A遺跡の丸木弓や土居内(どいうち)遺跡の木簡(もっかん)など保存処理前の木製品をご覧いただけるチャンスです。特に木簡は紫外線による劣化を防ぐため、文化財センターでも通常はレプリカを展示しています。今回の速報会では奈良時代の木簡の実物を間近にご覧いただけるまたとない機会となります。
また、土居内遺跡で見つかった奈良時代の橋脚について、あまりにも巨大すぎて速報会では展示できませんが、写真を交えてお話します。
申込み不要ですので、会場へ直接お越しください。

オンラインでの配信もありますので、ご来場が難しい方はどうぞご利用ください。外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。オンライン配信はお申込み(外部サイト)(2月21日午後5時締切)が必要です。

茶院A遺跡 謎の鉄片 2月7日更新

茶院A遺跡の発掘調査の最終盤に、長さおよそ10センチの鉄板が出土しました。
鉄製品の整理作業では、はじめにX線透過装置で調査を行います。サビに覆われた鉄製品をX線撮影すると元の形を知ることができるほか、鋳造品(鉄を型に流し込んで作った製品)か鍛造品(鉄を熱して叩いて成形した製品)かがわかります。X線画像を見ると、丸い気泡の跡があることから鋳造品だと判断できました。鋳造で作る鉄製品の代表格が鍋・釜なので、このどちらかだと絞り込めます。また、弧を描く形状から、新潟では、これまで見かけることがなかった羽釜の羽の部分ということがわかりました。出土した層位から、おそらく鎌倉時代くらいのものと考えています。
2月25日(日曜)の新潟市遺跡発掘調査速報会では、この羽釜のほか、以前このコラムで取り上げた丸木弓も展示する予定ですので、是非見にいらしてください。遠方の方向けに外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。オンライン配信(外部サイト)も受け付けています。

平安時代の製鉄炉ここにあり 12月19日更新

弥生時代は日本列島において鉄の利用が始まる時代で、新潟県内においても鉄製品が確認されています。
市内では、古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡のある丘陵南側の麓から新潟県立植物園にかけての範囲に、奈良時代から平安時代の製鉄炉7基、木炭窯20基以上の製鉄遺跡が発見されており、盛んに鉄づくりが行われていたことが伺われます。
「史跡古津八幡山弥生の丘展示館」には、そのうちの一つである大入(おおいり)遺跡C地点から切り取った製鉄炉が展示されています。今から約1100年前、9世紀後半の平安時代のもので、なかなか見ることができない貴重な展示品です。是非一度ご覧ください。
現在、弥生の丘展示館では、鉄器に関連した企画展「古津八幡山遺跡の石器と鉄器」を開催しています。古津八幡山遺跡の発掘調査から出土した石器・鉄器を展示し、それらの変化や動向を探ります。こちらも併せてご覧ください。

茶院A遺跡の発掘調査が終了しました 12月7日更新


発掘調査現場作業に従事した皆さんとの集合写真

7月の酷暑のさなかに始まった茶院A遺跡の発掘調査が11月22日に終了しました。
調査を始める時には、昨年同様に奈良時代中心の遺跡だと思っていましたが、ふたを開けると、古墳時代、平安時代、鎌倉・室町時代の土器が出土し、長期間にわたって人が活動した遺跡だったことがわかりました。調査成果は来年2月25日の新潟市遺跡発掘調査速報会で発表します。
作業員のみなさんをはじめ、地元の方々、有識者など多くの方からご協力いただき、事故もなく安全に作業を終えることができました。感謝いたします。
なお、整理作業は始まったばかりです。今後、このコラムで作業の様子をお伝えしていきたいと思います。

アイデアとイメージ「古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡のヤリガンナ」の続き 12月4日更新

弥生の丘展示館で開催中の企画展「古津八幡山遺跡の石器と鉄器」で展示中のヤリガンナのレプリカ。時間がない中でどのように製作したのかお話します。
弥生の丘展示館では月別体験メニューに銅鏡づくりがあります。(すず)とビスマスの合金を鋳型に流し込んでつくるもので、50分程度の体験学習です。その鋳型に傷がついたものを保管していたので、それを再利用してつくりました。
まず、使わなくなった鋳型をエックス線写真でわかった古津八幡山遺跡のヤリガンナの大きさや形に彫りなおして、そこに合金を流し入れます。そして、出来上がったものを削って仕上げ、多少の着色をしました。鉄ではなく、扱いやすい合金でつくったので、企画展開始に間に合わせることができたのです。
形態や構造は石川県の八日市地方(ようかいちじかた)遺跡の資料を参考にしています。八日市地方遺跡のヤリガンナの()はイヌガヤ属ですが、今回復元したヤリガンナの柄はシラカバの枝を利用して作りました。柄に巻き付けるサクラの樹皮はなかったので、市販の卓上ほうきに巻かれてたものを使いました。
厳密な復元ではないですが、イメージの手助けにはなると思います。

アイデアとイメージ「古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡のヤリガンナ」 11月27日更新

弥生の丘展示館で2024年3月24日(日曜)まで開催している企画展「古津八幡山遺跡の石器と鉄器」の開催前にこんな会話がありました。
「古津八幡山遺跡から出土した()びたヤリガンナって展示してどんなものかわかる?」
「エックス線写真見たってわからないよね。」
「じゃあ、復元。自前で。()もつけて。石川県の資料を参考にして。」
という感じで復元することに。参考とするのは石川県の八日市地方(ようかいちじかた)遺跡から出土した鉄のヤリガンナに木製の柄が付いたものです。
古津八幡山遺跡で見つかったヤリガンナ(鉄部分)は、エックス線写真から本来の長さと厚みがわかります。とはいえ、鉄で刃物を作るのは大変です。この会話から企画展開始までは時間がありません。ここからはアイデア勝負。どうやってレプリカを間に合わせたのか。
12月3日(日曜)14時から弥生の丘展示館にて、企画展の展示解説を行います。ヤリガンナのレプリカも話題にあがるかもしれません。どのようにしてレプリカを間に合わせたのか、コラムでの続きは展示解説終了後のお楽しみ。

大発見 茶院A遺跡で弓が出土しました 11月8日更新

茶院A遺跡の発掘調査も残すところあとわずかとなった先週、大発見がありました。
調査区の端に表面を削った痕のある丸木が・・・。調査区外に埋まった状態だったので、それを追ってほんの少し掘り広げました。その結果、なんと長さ150センチの丸木弓だと判明。片側が少し欠けていましたが、出土状態も良く、壊れることなく取り上げることができました。
長さや形状から古代の弓と考えられます。古代の新潟市は、夷狄(いてき)(日本海側の蝦夷(えみし)のこと)と軍事的な緊張関係にあったことから、このような弓が出土したのかもしれません。
現地説明会の前に出土していれば、皆さんにお見せできたのに、残念無念。

囲炉裏に火が入りました 11月6日更新

文化財センターの敷地には市指定文化財「旧武田家住宅」があります。白鳥が飛来する時期になると、旧武田家住宅の囲炉裏で薪を燃やします。午前10時頃までは煙が上がり、煙たいですが、この煙が重要な役割を果たします。旧武田家住宅の屋根は茅葺きです。煙で茅や木材を(いぶ)すことで虫が付きにくく、煙のタール成分により防水効果が生まれ、腐食を防ぐことにつながります。
先日、旧武田家住宅の日々の清掃・手入れをお願いしているシルバー人材センターの方から障子の張り替えをしていただきました。真っ白い障子は薄暗い室内を明るくしてくれますが、数か月もすると障子も燻されて茶色に変色してしまいますので、白い障子は今だけの景色です。
これから春先までの開館直後は煙たい時間帯もありますが、午前10時過ぎには囲炉裏の火が落ち着き、熾火(おきび)になります。囲炉裏端に座り、昔の暮らしに思いを()せてみてはいかがでしょうか。
炎と煙をご覧になりたい方は開館直後(平日は午前9時過ぎ、土日祝日は午前10時過ぎ)がおすすめです。
火勢の落ち着いた熾火に当たりたい方は午前10時頃から正午までがおすすめです。

11月26日に講演会「石器・鉄器から探る新潟の弥生文化」を開催します 10月25日更新

史跡古津八幡山弥生の丘展示館では2024年3月24日までダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。企画展「古津八幡山遺跡の石器と鉄器」(PDF:1,484KB)を開催しています。
1987年から2022年までの25回の発掘調査で出土した弥生時代後半(約2,000年前)の石器・鉄器の代表的なものを展示しています。当時は新潟県内でも鉄器が普及したと考えられており、古津八幡山遺跡は日本海側における鉄器分布の北限域となっています。鉄器の流入により、集落ではどのような変化や動きがあったのかを探る企画展です。
この企画展関連講演会を11月26日(日曜)午後1時半から新潟市文化財センターにて開催します。
講師に新潟大学准教授の森 貴教氏をお招きし、「石器・鉄器から探る新潟の弥生文化」と題してお話していただきます。
文化財センターでの聴講は申込不要です。
オンライン配信をご希望の方は11月19日(日曜)午後5時までに外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。「新潟市オンライン申請システム(e-NIIGATA)」(外部サイト)からお申込みください。
 

11月3日に講演会「考古資料から考える古代の紡織について」を開催します 10月25日更新

文化財センターでは2024年3月24日(日曜)まで企画展ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。「育てる・紡ぐ・織る 麻の歴史」(PDF:1,711KB)を開催しています。
新潟市内および近隣の縄文時代から中世の遺跡から出土した、糸づくりや機織りに使われた道具を中心に紹介しています。弥生時代の機織りの様子を等身大で復元展示しているほか、土器製作の際に布を使用し、痕跡として布の痕が残っている土器なども展示しています。
企画展関連講演会を11月3日(祝日)午後1時半から開催します。
講師には福井大学准教授の東村 純子氏をお招きし、「考古資料から考える古代の紡織について」と題しお話していただきます。
文化財センターでの聴講は申込不要です。
オンライン配信をご希望の方は10月31日(火曜)午後5時までに外部サイトへリンク 新規ウインドウで開きます。「新潟市オンライン申請システム(e-NIIGATA)」(外部サイト)からお申込みください。

茶院A遺跡で中世の地業と建物跡が見つかりました 10月25日更新

調査区南端のこれまで調査に入っていなかったところを掘り始めたところ、人為的に土を盛って固めた地業(ちぎょう)(地盤改良)の跡が見つかりました。地業層には、軟弱地盤を強固にするためか小砂利がたくさん混じっていました。最も新しい地業層の中から15世紀の白磁が出土していることから、中世に地業が行われたと考えています。
また、この地業層の生活面で掘立柱建物跡と考えられる柱を伴った柱穴が3基見つかりました。柱は八角形もしくは十二角形に面取りされており、このうち1本は建物が沈まないように礎板が敷いてありました。
今回の発見によって、古墳時代から室町時代までの長い期間に断続的に人が住んでいたことがわかり、茶院A遺跡はとても住みやすい環境だったと考えられます。

茶院A遺跡現地説明会報告 10月20日更新 

10月14日(土曜)に茶院A遺跡の現地説明会を開催しました。当日は天候にも恵まれ、130人の方々からご来跡いただきました。現地説明会では、標高の比較的高い居住域の掘立柱建物跡のほか、標高の低い場所から見つかった古代の水田、年代はまだ未確定ですがハサ木列と溝を見学いただきました。
参加者のアンケートからは、「住んでいる近くで昔から人が生活していたことがわかり良かった」「展示や説明にイラストがあってわかりやすかった」「ハサ木の年代がわかることを期待しています」などの感想が寄せられました。
これから整理作業を進め、現時点でわからなかったことを調べていきます。2月の遺跡発掘調査速報会で、ご紹介できるよう頑張ります。
ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。現地説明会当日配布資料(PDF:1,748KB)

弥生の丘展示館とウルトラマン 10月19日更新

新津丘陵にある「史跡古津八幡山弥生の丘展示館」の展示室には、弥生時代の集落を再現したジオラマが展示されています。竪穴(たてあな)住居や環濠(かんごう)(周囲に巡らされた濠)など当時の古津八幡山遺跡での暮らしや風景が、まるで手に取るように作り出されています。
そしてなんと、そこの背景画がウルトラマンなどの特撮の背景画で有名な「島倉二千六(しまくらふちむ)」さんにより描かれたものなのです。スカイブルーの空にうっすらと漂う白い雲、まるで本物の空がそこにあるかのように見事に描かれています。
ちょうど今頃は、古津八幡山遺跡周辺の木々の葉も色づき、紅葉がきれいな時期を迎えようとしています。晴れた日には、まさに島倉さんが描かれた背景画と同じような空を見ることができます。
秋の晴れた一日、島倉さんが描かれた空と古津八幡山遺跡から眺める空を見比べに、弥生の丘展示館を訪ねてみてはいかがでしょうか。

田んぼの下から田んぼが見つかりました 10月6日更新

茶院A遺跡の発掘調査もいよいよ大詰めになってきました。北側調査区の精査(遺構を探すために地面を平らに削る作業)を行ったところ、田んぼの跡が見つかりました。
写真の色の明るいところ(白い線で囲まれた部分)が(あぜ)、暗いところが田んぼです。畦が切れているところは水口(水を出し入れする場所)です。現在見えている範囲での大きさは1辺7.5メートルです。奈良・平安時代の土器が出土することから、概ね1,200年前の田んぼと考えています。
田んぼの下を掘ったら1,200年前の田んぼとは、ロマンがありますね。この田んぼ跡と前回紹介したハサ木は、10月14日(土曜)の現地説明会で公開しますので、ぜひ見にいらしてください。
ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。現地説明会チラシ(PDF:1,283KB)

魅力あふれる古津八幡山遺跡 10月5日更新

新津丘陵には、弥生時代後期・終末期の大規模な高地性環濠(こうちせいかんごう)集落である「古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡」があります。途切れ途切れですが周囲に(ほり)をめぐらしており、竪穴(たてあな)住居なども見つかっています。竪穴住居と濠は一部復元展示しています。
また、県内最大の円墳も発見され、その頂からは蒲原平野が一望できるほか、遠くは弥彦山や角田山、佐渡島まで見渡すことができます。
その麓には、古津八幡山遺跡を通して旧石器時代から平安時代までの生きた歴史が学べ、勾玉や土鈴づくり、火起こしなどの楽しい体験ができる「弥生の丘展示館」があります。
10月9日(月曜・祝日)には弥生の丘展示館がある「花と遺跡のふるさと公園」でさまざまなイベントが催される「花と遺跡の秋まつり」が開かれます。弥生の丘展示館では「ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。まいぶん祭り(PDF:889KB)」を開催します。いにしえのロマンに触れながら、秋の1日を楽しむのはいかがでしょうか。

10月14日に民俗講座「近代越後平野における割地慣行」を開催します 10月4日更新

新潟市文化財センターでは10月14日(土曜)13時30分から民俗講座を開催します。
講師に新潟市歴史博物館の山田祐紀氏をお招きし、「近代越後平野における割地慣行」と題し、新潟県域で行われた一定年ごとに耕作地を割り替える習慣から、これを巡る人びとや地域の姿についてお話いただきます。
定員には若干の余裕がありますので、お気軽にお電話(025-378-0480)にてお申込みください。
ダウンロードのリンク 新規ウインドウで開きます。チラシはこちらからダウンロードできます(PDF:999KB)

高所作業車を使っての空撮 9月27日更新

前回お伝えしたハサ木と考えられる木列の写真を真上から撮るために、高所作業車を使って撮影しました。
調査区は、周囲より標高が低いため自然と水が湧いてきてしまいます。写真撮影の際に水が残っていると光を反射してしまい良い写真になりません。このため、撮影前に水取り作業を行います。調査区の中に人が入って水取り作業をすると足跡がついてしまい、足跡を消す作業もしなければなりません。調査区の外から水を取れるように、道具を工夫して作業をしています。

もしかして、ハサ木? 9月26日更新

茶院A遺跡では、8月上旬に等間隔に並んでいる状態の木が7本見つかりました。昨年度の茶院A遺跡でも掘立柱建物の木柱列が見つかっていたことから、またしても掘立柱建物かと思っていました。
しかし、調査を進めた結果、どの木も根本まで掘ってみると立派な根っこがありました。
そして、この木の列と平行するように溝も見つかりました。溝に沿った木の列と言えば、新潟では農業が機械化される前に使われていた稲を干すための「ハサ木」を想像します。
これらの溝と木列はいつ頃のものなのでしょうか。溝からは奈良・平安時代の土器しか出土していませんが、7本の木は奈良・平安時代の遺物包含層を壊していることから、平安時代より新しいと考えられます。今後の調査で自然科学分析なども行い、年代を明らかにしていきたいと考えています。

ナゼここに 旧武田家住宅 9月21日更新

新潟市文化財センター敷地内には、市の指定文化財(有形民俗文化財)である「旧武田家住宅」があります。茅葺き屋根の裏中門造りで趣のある住宅です。
この武田家住宅は、戦国大名武田信玄で有名な甲斐国武田一族の武将が越後に逃れ、高橋姓を名乗り、百姓として居住したのが始まりと言われています。
武田一族であったことの誇りを持ち続けていたのか、屋根には武田信玄の家紋である「武田菱」が描かれています。
越後国で有名な戦国大名は上杉謙信。川中島で幾度となく戦った両雄。なんとなく戦国ロマンを感じさせる空間です。ぜひ一度足を運んでみてください。
旧武田家住宅は観覧無料、文化財センター開館時は見学自由です。

茶院A遺跡で鎌倉時代の溝が見つかりました 9月13日更新

茶院A遺跡の南東端に幅6メートルを超える大きな溝が見つかりました。溝からは能登半島の先端にある珠洲(すず)市で13世紀頃に生産された珠洲焼の甕とすり鉢が出土したため、鎌倉時代の溝と考えています。
鎌倉時代の遺構は、茶院A遺跡では初めて確認されました。この他に鉄鏃(てつぞく)(鉄製の矢じり)や刀子(とうす)()(さや)、漆器椀もあり、武士の存在がうかがえます。
茶院A遺跡のある打越地区には、江戸時代初期に打越にやってきた澤家の文献資料がありますが、それ以前のことについては、あまり詳しくわかっていないため、発掘調査の成果が打越地区の江戸時代以前の歴史を紐解く鍵になりそうです。

ベテラン作業員さんのお道具拝見 8月22日更新

茶院A遺跡では、この道十数年のベテラン作業員さんが活躍中です。
発掘調査に使う道具は、基本的に発掘調査会社が準備しますが、ベテラン作業員さんたちは、それぞれ自分で用意した「マイお道具箱」を持っています。今日は作業員Kさんのお道具箱をご紹介します。掘りやすいように変形させた移植ゴテだけで3本。掘るために地面に膝をつくので、膝用スポンジシート。細かいところを掘るためにスプーンや自作の竹べらなど工夫された道具がいっぱいです。他の発掘調査現場で新たな道具の情報を仕入れることもあるそうです。

親子で遺跡発掘調査にチャレンジ 8月8日更新

先日、新潟市広聴相談課の「親子で参加動く市政教室」の一環として、茶院A遺跡の発掘調査にチャレンジしていただきました。当日は9組21名の方が遺物包含層という土器がたくさん埋まっている土を掘る発掘調査作業を体験しました。
猛暑だったので休憩を挟みつつおよそ45分の体験となりましたが、皆さん無事に土器を掘り出すことができました。参加者からは「おもしろい」「明日もやりたい」との声が上がり、こちらも嬉しくなりました。

発掘調査現場の暑熱対策 8月2日更新

連日の猛暑で作業環境もかなり過酷となっています。
茶院A遺跡では、すぐに休憩できるよう現場脇にテントを張り、ウォータージャグで水を飲めるようにしているほか、ミスト付き扇風機で体を冷やすなどの対策をとっています。
また、今年は移動式の手作り日除けが大活躍しています。ちょっとした日陰があるとないとでは大違い。とはいえ、あまりに暑いときは作業を中断し安全第一でやっていきたいと思います。

茶院A遺跡の発掘調査が始まりました 8月1日更新

茶院A遺跡の発掘調査は今年で2年目を迎えました。昨年度よりも南側を調査しているのですが、とても浅いところで遺跡が見つかります。土器などが含まれる黒い土が地面からわずか10センチで顔を出しています。ちなみに昨年度は60センチくらいの深い場所にありました。同じ遺跡でもずいぶん深さが違うのですね。不思議です。
黒い土が見つかったら、重機ではなく人力で土器などを探します。土器を傷つけないよう、竹べらを使って探しています。中腰でつらい体勢ですが、土器がたくさん出てくるので、ついつい笑顔になってしまいます。

高校生が就業体験に来てくださいました 7月25日更新

7月19日・20日の2日間、高校生3名が文化財センターの仕事のごく一部を体験しました。

  • 展示室とバックヤードの見学
  • 出土品基礎整理作業(注記 土器・陶磁器に出土地点を小筆で記入)
  • 木製品の整理作業(収納用札の記入)
  • 木製品の保存処理作業(トレハロースの結晶除去・計測)
  • 7月の体験メニューに挑戦(和同開珎づくり・火起こし)

初めての環境で緊張した様子でしたが、根気のいる細かな作業に黙々と取り組む姿が印象的でした。

熱い懐をもった仲間 電気窯 7月25日更新

文化財センターと史跡古津八幡山(ふるつはちまんやま)弥生の丘展示館では、イベントでの土器づくり、月替わり体験の土笛・土鈴づくりなど粘土を使った体験ができます。
作品は自然乾燥後に焼き上げてからのお渡しになしますが、そこで活躍するのが電気窯です。約800度まで徐々に温度を上げ、一晩かけて焼き上げます。
窯の扉を開ける瞬間は上手く焼けているか毎回ドキドキです。


窯出し直前の作品

「なんだ、これは!」的な文化財センター 7月12日更新

令和5年4月に文化財センター所長として赴任しました。市役所職員として勤続32年、文化財センターがオープンしてから12年。センターの存在は知っていたものの実際に中に入るのは人事異動が決まり前任者との引継ぎの時でした。
展示室のドアが開いた瞬間、目の前に整然と陳列され、見事に展示された土器や木製品、石器の数々。やや暗めの展示室の壁にライトアップされているかのように、出土品がドーンと目の中に飛び込んできて、「なんだ、コレは!」と圧倒されたのを覚えています。


迫力ある展示室(撮影 廣崎 節雄)

市内からこんなにたくさんのモノが出土していたとは、にわかに信じることができませんでしたが、市内には旧石器時代から江戸時代にいたる遺跡が800か所以上発見されているとのこと。それならば、これだけ多数の出土品があっても当然のことなのかもしれません。
展示品の中には、竪穴(たてあな)住居が発見された秋葉(あきは)遺跡(秋葉区秋葉1)から出土した縄文が施された王冠型土器があります。縄文文化を象徴する土器で、市内から出土したとても貴重な出土品です。是非一度ご覧いただければと思います。
また、大沢谷内(おおさわやち)遺跡(秋葉区天ヶ沢)から出土した九九算の木簡には、6かける6が74となっていたり、本来「四九三十六」と書くべきところを「四三六」と書かれていたり、すでに奈良時代に九九算が使われていたことにビックリですが、計算間違いや脱字があるところは今も昔も変わらないなと、クスッと笑えました。
こんなに楽しく魅力ある素晴らしい文化財センターです。是非一度ご来館ください。お待ちしています。

茶院(ちゃいん)A遺跡の発掘調査の準備をしています 7月11日更新

現在、7月下旬から始まる西蒲区茶院A遺跡の発掘調査の準備をしています。
発掘調査では、出土品の位置や深さを記録しなければなりません。そこで必要になってくるのがラベルです。土だらけの土器と一緒に保管するため、水に濡れても破けないように水濡れに強いユポ紙製のラベルを使っています。
ここで、文化財センターのちょっとした工夫をご紹介します。茶院A遺跡のように発掘調査の場所が複数に分かれる場合、1区は赤、2区は青といったように視覚的にすぐにわかるように色分けをしています。
用意したラベルが無くなってしまうくらいたくさんの土器が出土するといいな、と思いながら準備作業を進めています。


調査区ごとに色分けされたラベル

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文化財センター(まいぶんポート)

〒950-1122 新潟市西区木場2748番地1
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