それでも昔から人は住んでいた!

最終更新日:2012年6月1日

土器の写真1

 北部の砂丘地帯を除く福島潟や豊栄低地は、標高は0~2メートル未満が大半で、洪水による湛水の常襲地帯です。こうした地域でも昔から人は住んでいました。
 北区には原始・古代・中世の遺跡が111カ所発見されています。出土遺物などから、北区の大地に人々が初めて痕跡を残したのは砂丘上です。一番内陸にある砂丘の上黒山遺跡、法花鳥屋遺跡では、およそ5,500年~5,000年前の縄文時代前期後半~中期初頭の土器が発見されています。このことから内陸にある砂丘ほど形成時期が古いことがわかりました。引越遺跡、鳥屋遺跡では、およそ2,500年前の縄文時代晩期末の土器や石器がたくさん出土し、定住したことがわかっています。稲作が行われていたかは不明ですが、出土遺物から魚や貝、小動物、木の実を採って暮らしていたと思われます。引越遺跡は引き続き、弥生時代も営まれます。
 古墳時代になると大規模な遺跡が多く、上黒山遺跡、松影遺跡の砂丘上のほか、葛塚遺跡、正尺遺跡など旧大口川自然堤防や上土地亀遺跡、城ノ潟遺跡など駒林川自然堤防へも進出しています。稲作農耕に伴う低地の開発が本格的に始まったことを物語っています。
 

土器の写真2

 奈良・平安時代になると福島潟の東岸や南岸にも遺跡が増加し、人々が積極的に低湿地帯に進出していきます。一方、砂丘地帯の新潟東港の出山下層遺跡・太郎代遺跡、神谷内遺跡では塩作りが行なわれていました。
 中世の遺跡は、砂丘上の出山上層遺跡、横井遺跡、阿賀野川自然堤防の下前川原遺跡、森下遺跡で集落が営まれました。城館としては、長場館、城山館、引越城が知られ、さまざまな伝説が今日に伝えられています。また、太郎代、太夫浜、神谷内、里飯野、上堀田などに出湯系石仏が点在し、人々の生活を探る手がかりとなっています。

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