名誉市民

最終更新日:2014年8月1日

昭和26年3月21日に名誉市民の称号を受けた方々(50音順)

會津 八一 (あいづ やいち)

昭和21年より新潟市に居住し、「夕刊にいがた」社の社長を経て新潟日報社社賓として社会文化面に貢献しました。 早稲田大学教授時代、同大学内に東洋美術史標本陳列所 を創設し、また、奈良美術研究会会長をつとめるなど、美術史ことに 奈良美術に関する国内の権威として重きをなし、その深い造けいは顕著な足跡を学会に残しました。また書家・歌人としても知られ、 美術史に関する著書とともに 高く評価されています。

荻野 久作 (おぎの きゅうさく)

明治42年東京帝国大学医学部卒業後、同校産婦人科教室で研究を続け、明治45年竹山病院産婦人科医長に就任。 臨床のかたわら産婦人科の研究を続けました。
氏の研究は婦人の受胎に関するものが多く、50編を超える論文を記述しました。
なかでも排卵期と受胎期に関する研究は画期的学説として著名であり、日本医学界の至宝ともいわれています。

澤田 敬義 (さわだ けいぎ)

明治43年新潟医学専門学校創立とともに同校教授、内科医長として大学昇格に尽くしました。 大正14年に新潟医科大学長に任ぜられ、昭和9年退官まで20 数年間医学界に尽くした事績は顕著で、ことに恙虫(つつがむし)病 や本県地方病に関する研究は学会に重きをなしています。優れた人格と学識経験は学生を訓育し、優れた人材を輩出しました。

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