展示室
最終更新日:2019年8月7日
旧市長公舎
展示
「檀 一雄」
期間
令和元年8月3日(土曜)~令和元年11月24日(日曜)
内容
坂口安吾と檀一雄(1912-1976)は、1943年12月頃銀座「はせ川」で井伏鱒二の紹介で出逢っています。いわゆる競輪事件(1951年)では、被害妄想に陥った安吾を檀は石神井の自宅で1か月間匿い、53年には「決戦川中島」のため新潟から松本まで一緒に取材旅行に出かけています。アドルム中毒の発作で鬱病を発し暴れる安吾を辛抱強く看るなど、ふたりは「安吾さん」「檀君」と呼び合う仲であり、尾崎士郎(1898-1964)と同様、生涯深くつきあった友人でした。
檀一雄は、安吾急逝のため連載途中で中絶した「真書 太閣記」のあとを継いで同じ雑誌に連載し、没後すぐに刊行された「坂口安吾選集」(全8巻 東京創元社 1956-57年)では編集に尽力しています。
また長く安吾忌の幹事をつとめ、安吾が少年時代に泳いだ新潟市寄居浜近くに建立した詩碑の発起人の一人でもあります。安吾亡きあとも新潟を何度も訪れて、その都度詩碑に出向き、兄献吉や多くの人々と交流して、新潟の地と食に親しんでいます。秋葉区大安寺や胎内市には、檀一雄の碑も建てられています。
このたびは檀一雄の安吾との交流だけでなく、没後の新潟での足跡も紹介します。
おもな展示作品
・檀一雄 色紙「亡友の泳ぎし跡か 川広し」
・檀一雄 「葦枯るる 阿賀野の川の 鮭喰はむ」
・檀一雄 原稿「古町の芸者」1966年
・坂口安吾・檀一雄 平泉榮吉宛書簡 1956年
・坂口安吾・檀一雄 「決戦川中島」『別冊文藝春秋』
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