書跡典籍、古文書

最終更新日:2012年6月1日

秋葉区の宝物

桂家国学関係資料(県指定文化財)

桂家は初代誉秀(たかひで)以後次第に発展し、新発田藩新津組22ヶ村の大庄屋を命じられました。敬神崇祖(けいしんすうそ)、篤学(とくがく)の家系で四代誉章(たかあき)は垂加神道(すいかしんとう)を学び、万巻(まんがん)の書を蔵して、「萬巻楼」(まんがんろう)と名付け、六代誉正(たかまさ)は平田篤胤(あつたね)の門下で本居内遠(もとおりうちとお)、大国隆正と親交を持ちました。そして、七代誉重(たかしげ)も国学に傾倒し、鈴木重胤(しげたね)門下として庄内の大滝光憲(みつのり)とともに、重胤の大著「日本書紀伝」の刊行を手伝いながら、その校閲者になっています。

桂家の国学関係資料は、重胤から贈られた「日本書紀伝」の浄書本148冊をはじめ、重胤の著述、稿本、筆墨書簡などを主とし、ほかにも本居宣長(もとおりのりなが)、賀茂真淵(かものまぶち)、平田篤胤などの遺墨246点を数えます。これら資料は、江戸時代における原史料であるとともに、国学の地方伝播の実態を知るうえでも大変貴重な資料となっています。

蓮徳寺一切経(いっさいきょう)(市指定文化財)

蓮徳寺一切経は、学僧として知られた蓮徳寺12世鳳冠から代々に伝わって収集された経典で、そのうち3563巻(1160冊)が山門を入った左側の経蔵に収められています。この経典は、鉄眼道光(てつげんどうこう)和尚の発願により、宇治黄檗(おうばく)山万福寺で、寛文9年(1669年)から天和元年(1681年)までの13年間にわたって刻印された黄檗版一切経(1618部、7334巻)の一部となっています。一切経はわが国における経典の普及版として、世間の需要に応えてきたものですが、その半数が蓮徳寺に収蔵されていることを考えると、仏教聖典として大変貴重なものといえます。

獅子踊り歌詞秘書(ひめがき)(市指定文化財)

獅子踊り歌詞秘書は文化10年(1813年)、小戸新田有志の望みによって当時の和田村と庚村(現在新潟市)から授与されたものです。歌詞は5巻に分けて巻軸に表装され、内容の全長は8.42メートルに及びます。歌詞は「花見の大歌」など13種の歌が達筆に記され、最後に関係者44人の氏名が明記されています。民俗芸能や民謡など無形のものは、その伝播経路や年代、歌詞など来歴を知る史料にとぼしく、不明なものが多いなかで、小戸下組に伝えられた獅子踊りの歌詞秘書は貴重な民俗史料となっています。

小泉蒼軒(そうけん)文庫(測量器具一式を含む)(市指定文化財)

「小泉蒼軒文庫」は、郷土ゆかりの優れた地理家「小泉蒼軒」(1797~1873年)の遺著です。この「蒼軒文庫」と名付けられた編述資料は、蒼軒が終生の事業として心血を注いだ越佐誌編さんの記述が中心となっています。

同文庫には、蒼軒の父其明のものも含まれていますが、蒼軒が編述・記録したものは、単に越佐の地理にとどまらず、歴史や国学、民政、測量学、治水、民俗など多岐にわたっています。これらの事柄が彼の恵まれた文才によって、随筆にまとめられています。

また、蒼軒の38才から没年までのおよそ40年間が継続して記されている「小泉蒼軒日録」は、幕末から明治へと移り変わる郷土を移し出す貴重な記録として、研究者からも注目を集めています。

真柄家石油関係資料(市指定文化財)

真柄家に伝わる「真柄家石油関係資料」は、慶長18年(1613年)真柄家の祖であり煮坪(にえつぼ)の発見者の仁兵衛貞賢(にへえさだかた)から、明治33年(1900年)道三郎に至る真柄家歴代の石油に関する文書、絵画など70点の記録を保全、収蔵してきたものです。新津油田煮坪)発見以来の真柄家と領主層との関連、油井の状況と採油の技法、産油量増減の推移などをこれらの資料から知ることができます。新津が石油産出のピ-クを迎える前にあたる江戸初期から明治中期に至る間の近代石油産業発生までの経緯全般を知るうえで、真柄家所有の煮坪とともに、学術的にもきわめて価値の高いものとなっています。

澤田家能代川堰(せき)関係資料(市指定文化財)

澤田家能代川堰関係資料は、天正8年(1580年)澤田家の祖である半右衛門から昭和16年(1941年)27代正一郎まで、澤田家歴代にわたり能代川堰に関する文書や絵画など26点を保存、収蔵してきたものです。この古文書は、天文2年(1533年)の創設といわれる能代川堰の起源とその変遷や堰守としての澤田家と領主層との関連、村落の開発と耕地の拡大、堰の造営技法と関係住民の負担、堰をめぐる上流と下流の住民の動静などが記載されています。澤田家にある能代川堰関係資料は、戦国争乱期から江戸末期にわたる新津付近の水利および治水を知るうえで重要なものといえます。

小須戸町屋舗絵図面(こすどまちやうらえずめん) (市指定文化財)

この絵図は所蔵する秋葉区小須戸の松崎堅持氏の先々々代が土蔵の中から発見した旧小須戸町における江戸後期の様子を具体的に示す貴重な資料です。
文政9年(1826年)6月に描かれたもので、大きさは縦97.5センチメートル、横178センチメートル、縮尺は600分の1になっています。 
絵図面には本家、借家合わせて267軒が記されていますが、他の関連した古文書や資料と合わせることによって、旧小須戸町の発展をうかがい知ることができます。

本住寺棟札(ほんじゅうじむなふだ)(市指定文化財)

法華宗 長光山(ほっけしゅう ちょうこうざん)本住寺(住職名:36世 五十嵐昭孝さん)は嘉歴(かりゃく)元年(1326年)真言宗を改め、三条市にある本成寺の末寺となりました。
開闢(かいびゃく)は大同年間(806年~809年)の造立と申し伝えられています。
本住寺には合計10枚の棟札がありますが、これ程多くの棟札が保存されているのは旧小須戸町には他に例がありません。旧小須戸町の歴史の一端を物語るものとして、幕末期までの7枚が新潟市の指定文化財となっています。
 (写真は右からの棟札の名称となります)
1.本住寺棟札永禄元年(1558年)
2.本住寺御堂修補棟札寛文12年(1672年)
3.本住寺再興棟札元禄2年(1689年)
4.本住寺仏殿造立棟札明和3年(1766年)
5.三十番神堂棟札文政5年(1822年)
6.弁天堂再建棟札弘化4年(1847年)
7.鐘堂再建棟札嘉永3年(1850年)
 所在地:秋葉区横川浜2983番地

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