市報にいがた 令和2年8月2日 2724号 5面
最終更新日:2020年8月4日
みなとまち新潟 歴史探訪(36)
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新潟海岸と海岸砂防林~松林の始まり
江戸時代の新潟は、海岸の砂丘地特有の問題を抱えていました。季節風による飛砂(ひさ)の被害です。砂丘に近い寄居村は特に被害が大きく、宝永・正徳年間(1704年から1716年)のころには村の大半が砂で埋まり、人が住めない状態でした。農作物も被害を受け、村は移転を余儀なくされました。風下の新潟町でも、寺院や民家に砂が吹き込むほどでした。
飛砂の対策として実施されたのが松などの植林です。樹木が根付くことで風が弱まり、砂が飛ぶのを防ぎました。新潟町では長岡藩領時代の宝暦年間(1751年から1764年)ごろに植林が本格化し、天保14年(1843年)に幕府領になった後も新潟奉行を中心に継続されました。初代奉行の川村修就(ながたか)は植林範囲を広げ、嘉永2年(1849年)までに植えた苗木は約2万6千本に達しました。また、砂防事業を担う役職を奉行所内に新たに設け、対策を強化しました。
飛砂の克服は砂丘地新潟の悲願であり、植林は近代以降も続きました。現在も新潟海岸に広がる松林は、新潟の人々と砂との闘いの証でもあるのです。
「新潟海浜松苗木植付場所図」(部分、新潟市歴史博物館蔵)修就が植林を行った様子を描いている
現在も海岸沿いに広がる松林は「日本の白砂青松100選」に選ばれている(写真は中央区関屋付近)
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