保存・活用のための古津八幡山遺跡の発掘調査について

最終更新日:2023年1月26日

新潟市文化財センターでは、平成29年度より史跡内外における古津八幡山遺跡の状況を把握することを目的とした確認調査を地権者様のご理解・ご協力のもと実施しています。

明らかになった複数埋葬の方形周溝墓(令和4年度)

前年度の調査で見つかった方形周溝墓とその埋葬施設の大きさや構造の確認と周辺の状況把握を目的とした調査を行いました。
方形周溝墓では、昨年の調査で不明瞭であった東辺の周溝が確認され、規模が確定しました。また、方形周溝墓の内部からは新たに埋葬施設が1基見つかり、合計4基の埋葬施設を持つことが明らかになりました。そのうち1基は板材で囲った空間に棺を納める木槨(もっかく)という構造の埋葬施設の可能性があります。複数埋葬や木槨構造といった特徴を持つお墓は西日本に分布が偏っており、東日本では希少な事例です。
また、調査区の東側で竪穴住居が、調査区の北側で前年度見つかった方形周溝墓より一回り小さい別の方形周溝墓が新たに確認されました。
過去の調査で見つかった6本柱構造の大型竪穴建物の特徴等も踏まえると、中腹域は頂上部とは性格が異なる空間として利用されていた可能性が推測されます。

現地説明会

令和4年10月8日(土曜)に古津八幡山遺跡発掘調査(第25次調査)の現地説明会が実施されました。
不安定な天候の中、60名の方が参加されました。

当日配布した資料をご覧になれます

古津八幡山遺跡で最大の方形周溝墓を確認(令和3年度)

前年度に引き続き史跡指定地外の北東域において遺跡の有無を調査しました。その結果、弥生時代の竪穴住居のほか、古津八幡山遺跡において最大の方形周溝墓が新たに確認されるなど、大きな発見がありました。
竪穴住居は、一辺が約5mの隅丸方形状で、壁溝が2条見つかっていることから住居の建て替えが行われたと推測できます。方形周溝墓は、幅約0.6~1.1mの周溝が3辺で見つかっており、そのうち南辺と西辺の周溝からは、細い排水用の溝が谷へ向かって延びていることが確認されました。方形周溝墓の内部からは埋葬施設が3基見つかりました。この時期のお墓としては県内初の複数埋葬事例となります。遺物は周溝からガラス玉が1点見つかったほか、供献土器と思われる甕がつぶれた状態で出土しました。

現地説明会

令和3年10月10日(日曜)に古津八幡山遺跡発掘調査(第24次調査)の現地説明会が実施されました。
当日は171名の参加がありました。方形周溝墓へ関心を示す方が多く、調査担当者に熱心に質問をされる様子も伺えました。

当日配布した資料をご覧になれます

明らかになった大型竪穴建物の構造(令和2年度)

前年度に引き続き大型竪穴建物(SI1)の調査を進めたほか、史跡指定地外の北東域において遺跡の有無を調査しました。
調査の結果、大型竪穴建物は6本柱構造の建物であることが判明しました。炉や貯蔵穴といった古津八幡山遺跡の一般的な住居に伴う遺構が確認されなかったことや建物規模などから、居住以外に利用された特別な性格の建物であったことが推測されます。また、大型竪穴建物と、それに重なって見つかった住居(SI465)のどちらとも、壁溝から排水溝が延びているのが確認されました。このような事例は県内では基本的に認められないため、西日本の影響を受けた可能性があります。

現地説明会

令和2年10月3日(日曜)に古津八幡山遺跡発掘調査(第23次調査)の現地説明会が実施されました。
当日は午前と午後合わせて161名の参加がありました。

当日配布した資料をご覧になれます

詳細が明らかになった弥生時代の建物(令和元年度)

今年度は、平成29・30年度の調査で確認された大型竪穴住居(以後、大型竪穴建物と呼ぶ)や掘立柱建物のさらなる理解のために発掘調査を実施しました。
調査の結果、大型竪穴建物は一辺約9.5mの胴が張る隅丸方形であることや、壁溝が2条切り合いをもって確認されることから、建て替えを行っていることなどが確定しました。また、柱穴が多く検出されており、一般的な4本柱ではなく、多角形に柱が立っていた可能性が考えられます。
さらに、大型竪穴建物と重なって見つかった竪穴住居は、1辺約4mの隅丸方形の建物で両遺構の重なり具合から大形竪穴住居より新しいことが分かりました。

現地説明会

令和元年10月6日(日曜)に古津八幡山遺跡発掘調査(第22次調査)の現地説明会が実施されました。
当日は午前中に雨が降っていたにも関わらず、午前と午後合わせて67名の参加がありました。参加者は担当した文化財センター職員の説明を聞きながら、今年の調査成果を熱心に見学していました。

当日配布した資料をご覧になれます

弥生時代の大型竪穴住居と当遺跡で初となる弥生時代の掘立柱建物を確認(平成30年度)

今年度の調査においては、当遺跡で最大の弥生時代の大型竪穴住居や、当遺跡で初となる弥生時代の掘立柱建物が確認されるなど、多くの重要な成果があがっています。
大型竪穴住居は弥生時代の終わり頃(3世紀前半頃)のもので、1辺が約9.2メートルと当遺跡でこれまでに見つかっている竪穴住居のおよそ4倍の最大の建物となります。なお、弥生時代の竪穴住居としては県内においても最大級の規模です。
また、当遺跡で初めて掘立柱建物が確認されました。1棟は、梁行約5メートル、桁行約6メートルで、近年柏崎市の西岩野遺跡で確認された建物と同様の独立棟持柱建物です。他にも掘立柱建物の柱の穴が多数検出されており、複数棟の掘立柱建物の存在が明らかとなりました。掘立柱建物の多くは弥生時代後期(1世紀から3世紀頃)のものと考えられます。

現地説明会

平成30年10月7日に予定していた現地説明会は、台風の影響により中止となりました。
当日配布予定だった資料を以下からダウンロードできます。

平成29年度の発掘調査

目的
史跡北東の史跡指定地外について、遺跡の内容を把握する。
調査方法
幅2メートル、長さ74メートルの調査区を設定し、立木を避けながら人力で掘り進めました。
主な調査成果
柱の痕跡のある穴が16基見つかりました。地面に掘った穴に直接、柱を立てた掘立柱建物の柱穴と考えられます。調査区が狭いため、柱穴の組み合わせは復元できませんが、複数の掘立柱建物が存在したと推測できます。多くの柱穴からは弥生時代後期後半の土器が出土したことから、この時期の建物と考えられます。過去19回の発掘調査では掘立柱建物は見つかりませんでした。今回の発掘調査で見つかった掘立柱建物は、倉庫として機能していたのではないかと想定しています。
一辺7メートル以上と推定される隅丸方形の竪穴住居が1棟見つかりました。竪穴住居は地面を掘りくぼめて、上に屋根をかけた半地下式です。時期は出土した土器から弥生時代の終わり頃と考えられます。古津八幡山遺跡で見つかっている竪穴住居の平均的な大きさは一辺5メートル位です。今回見つかった竪穴住居は最大規模となります。

現地説明会

平成29年11月4日(土曜)に古津八幡山遺跡発掘調査(第20次調査)の現地説明会を実施しました。
当日は雨模様の中、午前と午後合わせて60名の参加がありました。
参加者は調査を担当した文化財センター職員の説明を聞きながら、今年の調査で見つかった弥生時代の掘立柱建物の柱穴や竪穴住居を中心に熱心に見学や質問などをされていました。

当日配布した資料をご覧になれます

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文化財センター(まいぶんポート)

〒950-1122 新潟市西区木場2748番地1
電話:025-378-0480 FAX:025-378-0484

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