市報にいがた 平成31年4月7日 2692号 5面
最終更新日:2019年4月7日
みなとまち新潟 歴史探訪(20)
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外国人が見た新潟~町を流れる堀~
新潟町の暮らしに欠かせなかった堀。明治の開港により、新潟にも外国人が訪れ、町を流れる堀と人々の暮らしを目にしました。
イギリス人旅行家のイザベラ・バードとドイツ人建築家のブルーノ・タウトは、新潟の印象をそれぞれの著作に記しています。明治11年(1878年)に新潟を訪れたバードは『日本奥地紀行』の中で、堀と川縁の柳の美しさに触れ、「運河は新潟の非常に魅力ある特色となっている」と記しています。対して昭和10年(1935年)に訪れたタウトは『日本美の再発見』の中で、新潟を「日本中で最悪の都会」と表現し、「街を貫く運河は悪臭紛々としている」と記しています。
江戸時代から生活用水としても利用された堀は、明治初期に県令楠本正隆(くすもとまさたか)の開化政策により整備が進みましたが、その後護岸の崩落や大正11年(1922年)の大河津分水通水による水量の減少で、水質が悪化していきました。新潟の堀は、「柳都新潟」を形づくるとともに、人々の生活に密着したものでした。
バードのスケッチをもとにした堀の絵(左、『市史にいがた3』より転載)と明治初期の西堀の様子(右)。堀には橋が架けられ、岸が整備されている。
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