2021発掘調査ニュース・学芸員コラム

最終更新日:2022年3月11日

2021年度の発掘調査と整理作業の様子や収蔵品の話題などをお届けします

文化財センターでは、埋蔵文化財の発掘調査と調査によって出土した土器や石器の整理作業を行っています。
普段目にすることがない業務の状況や収蔵品の話題をお届けします。

弥生の丘展示館企画展 展示のご紹介 3月11日更新

現在、史跡古津八幡山弥生の丘展示館で開催中の企画展「新津丘陵の縄文遺跡~文様と形のうつり変わり~」では、遺跡から見つかった縄文土器のほかにちょっと変わった展示があります。
それがこちら。土器の実測図についての展示です。

私たちは、発掘調査で土器などの昔の道具が見つかると、写真にあるような様々な器具で厚みや寸法を測り、図を作成します。土器の実測図には、土器の形や色をはじめ、土器を作ったり使ったりした際の痕跡や土器を作るのに使った粘土にどのような鉱物が混じっているか(=胎土)といったことなど、実に様々なことが記録されています。
この展示では、実測図にかかれた本物の土器と、その土器のレプリカを展示しています。どの部分を計測しているのか、どの部分の痕跡を図に表しているのかが分かるように、レプリカは右手前側の4分の1を切り取っています。ぜひ、会場で真横から見た土器と実測図とを比べてみてください。

このほか、縄文時代や縄文土器に関する基礎的な内容を分かりやすく解説しています。ぜひお越しください。

会期:3月27日(日曜)まで
場所:史跡古津八幡山 弥生の丘展示館

整理作業員をご紹介します 3月11日更新


職員の似顔絵

文化財センターには遺跡発掘調査や講演会などでよく目にする学芸員のほか、整理作業員としてたくさんの職員が勤務しています。
どこで仕事をしているかというと、調査研究室や保存処理室、収蔵庫など多くの職員は非公開エリアで勤務しています。そんな方々を似顔絵でご紹介します。業界歴数年から何十年という方まで業務内容に熟知している方が多く、文化財センターを支えている皆さんです。
業務内容は出土品の接合や実測、木製品や金属製品の化学的処理、収蔵品の管理、民俗資料の整理、体験コーナーでの接客、図書の管理など多岐にわたります。2022年3月27日まで開催中の企画展「文化財センター10年のあゆみと発掘調査史」では仕事上のエピソードをご紹介していますので、ぜひご覧ください。
また、旧武田家住宅や植栽の管理などをお願いしているシルバー人材センターの皆さんも文化財センターにとって欠かせない存在です。

おでかけに抵抗のある方でもリモートで参加できます「新潟市発掘調査速報会」 2月9日更新


速報会に向けた土器の復元作業

 毎年恒例となっている遺跡発掘調査速報会の時期になりました。今年度、新潟市が実施した遺跡発掘調査について、その成果を発表します。この時期、現場での発掘調査を終えた職員は文化財センターで発掘調査に関する事務仕事の傍ら、現場の遺構図面の修正や出土品の接合・実測など報告書作成に向けた業務に追われています。その作業のごく一部をご紹介します。写真は土器の復元作業の様子です。破片が見つからなかった部分にセメントを入れて元の形に近づけています。

今年度の速報会では次の2遺跡の発掘調査成果について発表します。

  • 古津八幡山遺跡 発見された弥生時代のお墓 古津八幡山遺跡最大の方形周溝墓
  • 道正遺跡 水田下に埋没した砂丘の遺跡

発掘調査成果の発表のほか、近年発見された「角田浜妙光寺山(かくだはまみょうこうじやま)古墳」について橋本博文新潟大学名誉教授による講演も予定しています。古墳好きの方はこの機会をお見逃しなく。

当日は会場での聴講のほか、オンラインでの同時配信も予定していますのでご自宅からも視聴いただけます。どちらの場合も事前申込みが必要です。
詳しくは「新潟市遺跡発掘調査速報会」のページをご覧ください。

新潟の味覚イトヨ 1月27日更新

 1月16日に企画展関連講演会が行われ、現在展示中の干納(かんの)遺跡が話題にあがりました。干納遺跡は、西蒲区樋曽にある縄文時代前期の低湿地貝塚です。貝塚から出土した動物の骨や木の実の殻を調べることによって、当時の人々の食生活を知ることができます。干納遺跡では、シジミなどの貝殻に混じってトゲウオ科の(とげ)が見つかりました。
 この棘は、新潟の人にとっては春の味覚といえる「イトヨ」の棘でした。かつて新潟では雪解けの季節になるとイトヨが川を遡上(そじょう)していました。イトヨは体長5センチメートルほどの小さな魚で、釣ったイトヨは焼いて醤油漬けしたり丸ごとから揚げにしたり酒の(さかな)として人気があったそうです。今は遡上する場所が少なくなり、新潟市では絶滅危惧に指定されるほど見かけなくなりましたが、当センターの50代の職員は、子どもの頃に河口で釣った経験があるとのことでした。
 トゲウオ科の棘は、平安時代の遺跡である江南区の牛道(うしみち)遺跡でも出土例があります。数千年続いている新潟の食文化と言えますね。

曽我墓所(そがぼしょ)遺跡出土鉄製錫杖(しゃくじょう)全貌(ぜんぼう)、現る 1月6日更新

 2020年の調査で曽我墓所遺跡から出土した鉄製錫杖を覚えていますか?本コラムの8月19日号でもお伝えしましたが、鳥足のついた須恵器環状瓶(かんじょうへい)と同じ遺構から出土し、X線で撮影するまで何なのか全くわからなかった出土品です。県内初、全国的にも珍しいこの錫杖について最新の科学を使う事で現れてきた全貌をご紹介します。
 この錫杖は、長さが約40センチメートルで、下の方は別の柄を差し込むためか袋状に作られています。すぐ近くで出土した鉄製品もX線写真で、錫杖の環にぶらさがる遊環(ゆうかん)であることがわかりました。

 さらに、X線CT画像撮影を行うことによって、さまざまな角度から観察できるようになり、本来の姿が浮かび上がってきました。新潟県工業技術総合研究所下越技術センターのご協力によって撮影・合成された画像を見ると、出土状態で右側1本、左側2本の遊環が付いていたことが分かります。360度回転して見られる錫杖動画も作成しましたので、リンク先の新潟市シティチャンネルから是非ご覧ください。

YouTube新潟シティチャンネルへ移動します


曽我墓所遺跡錫杖X線CT画像合成

企画展のあと 12月27日更新

 「企画展の準備」という話はこれまで何回かコラムでお伝えしましたが、この逆で今回は令和3年12月12日まで弥生の丘展示館で開催していた企画展2「倭国大乱~律令国家成立までの越後平野」(共催:(公財)新潟県埋蔵文化財センター)の撤収作業についてお話します。
 撤収作業とはいえ、ただ片づけるということではありません。資料の返却や、運搬作業が伴います。
 資料は慎重に梱包作業をします。他館から借りた資料は、借りた施設まで運び、職員さんの立会いのもと資料の確認を行い、返却完了です。緊張からの解放です。

 また、弥生の丘展示館での企画展は、内容により展示ケースのレイアウトも変更します。終わったら基本の位置に戻したり、次の企画展のレイアウトにします。
 この作業のために弥生の丘展示館では臨時休館を行いましたが、年明け令和4年1月5日から企画展3「新津丘陵の縄文遺跡 ~文様と形のうつり変わり~」を開催します。ぜひ、ご来場ください。

古津八幡山の確認調査で弥生時代のお墓が見つかりました 12月3日更新

 前回9月29日号の発掘調査ニュースで、古津八幡山遺跡の弥生時代の竪穴住居について書きましたが、その後の調査で新たに弥生時代のお墓が1基発見されました。
お墓は4辺に周溝(しゅうこう)と呼ばれる溝をもつ方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)というお墓で、溝の内側で長軸約10メートルの大きさです。古津八幡山遺跡では今回の発見によって方形周溝墓が4基確認されたことになりますが、今回見つかったお墓はその中で最大となります。
 方形周溝墓内では埋葬施設(まいそうしせつ)が確認されました。また、周溝からはお墓へのお(そな)えのための土器と推測される弥生土器が出土しました。
今後の課題として、埋葬施設の数やその構造の把握とともに、周辺にほかにお墓が無いのかどうかなども確認する必要があります。

前回の記事では10月10日(日曜)の現地説明会の告知も行いましたが、当日は天候にも恵まれて計172名と多くの方からご参加頂きました。ありがとうございました。


現地説明会の様子

小杉地区で試掘調査を行っています 11月31日更新

 江南区小杉地区でほ場整備事業に伴う試掘調査を地元の方々の協力のもと行っています。2020年度3月号の発掘調査ニュースでもご紹介しましたが、開発の前に遺跡の有無を調べるための調査です。画像は調査の様子です。薄く土を削っていくと、色の違う場所がみつかります。これが昔の人が一度掘った痕跡「遺構(いこう)」です。遺構は、断面からも確認できます。遺構や遺物がどの深さのどの層から見つかるかを記録します。
 今回の調査地では、主に平安時代の遺構や遺物が見つかっています。調査地の南には、昨年、脚のついた環状瓶(かんじょうへい)や前号で紹介した須恵器大甕が出土した曽我墓所(そがぼしょ)遺跡が存在するため、関連性のある遺跡かもしれません。

曽我墓所(そがぼしょ)遺跡の整理作業須恵器(すえき)大甕(おおがめ)の復元その4 10月21日更新

キューテックスを入れ終え、この後どうなるのかと待つ須恵器大甕。自重で壊れてしまわないか急に不安になった調査員の声掛けで、今まで逆さの状態だった大甕をいよいよひっくり返す時がきました。おそらく60キログラム以上はあろう大甕を無事にひっくり返すことができるのか、ひやひやしながら、男性4人がかりで作業にあたり無事、正位置に戻すことができました!試行錯誤しながら進めてきた大甕の復元作業ですが、これにて完了です。完成記念にこんなショットも。本当にお疲れ様でした。

曽我墓所(そがぼしょ)遺跡の整理作業須恵器(すえき)大甕(おおがめ)の復元その3 10月15日更新

大甕復元の報告も3回目となりました。ついに完成か?と思いきや、作業はまだ続いています。
破片を接合しながら、欠落している部分に「キューテックス」というセメントのようなものを入れて大甕の形を復元していきます。これは復元土器を補強するためでもあります。土器のカーブに合わせて内側にテープを貼り、キューテックスを入れます。固まってきたら、大甕の形に合わせて様々な道具を使って削り滑らかにしていきます。完全に固まる前に作業を済ませる必要があり、職人の技が光ります。
そして大甕が全貌を現してきました。次こそ完成!

曽我墓所(そがぼしょ)遺跡の整理作業須恵器(すえき)大甕(おおがめ)の復元その2 10月5日更新

9月21日号でご紹介した須恵器大甕の復元作業状況の続報です。
せっかく一度ぐるりと一周した須恵器大甕の体部破片をバラバラにした翌日、凹んでばかりもいられません。気を取り直して、再び組み立て作業を始めます。今度は、初めから上の部分(口縁部)に接合しながら組み立てていくことにしました。

(ふく)らみが大きく重いので、逆さになっている口縁部に負担がかからないように、養生(ようじょう)しながら組み立てていきます。(写真3)

三分の二くらいまで完成し、先が見えてきました。(写真4)

最後まで気を抜かずに見事一周しました。最初からこの方法で組み立てていればと悔やまれますが、何事も勉強ですね。そして、勢いも大事だったと思いました。次回は完成編です。お楽しみに!

古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡確認調査 弥生時代の竪穴住居の跡が見つかりました 9月29日更新

今年度の古津八幡山遺跡確認調査もいよいよ終盤です。現在、令和2年度に調査した最北端のトレンチから北へ約10メートルの地点で見つかった弥生時代の竪穴住居の跡を調査しています。
直径約3メートルの楕円形をした住居跡と想定し調査を進めました。白いラインで囲われている部分が当初の想定範囲です。

土の堆積状況や竪穴住居の床面までの深さを確認するためにT字状の細い溝を掘りました。その西側を掘削したところ、竪穴住居の内側に溝を巡らせていることがわかりました。その後、正確な住居の規模を把握するために、溝を追って東側も掘り下げを行いました。
掘削の結果、溝が想定していたラインでカーブせずに当初の想定よりも規模が大きくなると考えられます。また、床面にもう一条、細い溝がめぐり、途中で外側の溝と合流するのが確認できました。1度建て替えを行ったと考えられます。この竪穴住居は西から東へ緩く下る斜面に建てられています。地形を利用した排水溝としての役割を持っていたのでしょうか。
今後、さらに精査することで詳細が明らかになっていくことでしょう。

10月10日(日曜)に現地説明会を予定しています。発掘調査現場を公開するほか、出土した土器などの展示を行いますので、皆様ぜひお越しください。

休館日には何をしているの? 9月24日更新

 文化財センターは、月曜日と祝日の翌日が休館日です。休館日は職員も休んでいるかというとそうでもありません。
 今日は先週始まったばかりの企画展2「細池寺道上遺跡からさぐる能代川流域の古代」について来館者アンケートやお客様から直接いただいた声を元に修正作業を行いました。
 円筒型土製品(えんとうがたどせいひん)の内面も観察できるとよかったとのお声から展示の土製品の一部を裏返し、粘土紐(ねんどひも)のつなぎ目を見られるようにしました。アンケートでは、エントランスケースのキャプションの文字が小さいとのご指摘もありましたので、修正しました。このようにご要望をお寄せいただければ、可能なものについては適宜修正を入れていますので、是非アンケート等でご意見・ご感想をお聞かせください。
 また、県の新型コロナウィルス特別警報に伴い、市外への資料借用を延期していましたが、警報が解除になったことから借用に行ってきました。明日からご覧いただけます。展示予定の県外からの資料については、今しばらくお待ちください。

曽我墓所(そがぼしょ)遺跡の整理作業須恵器(すえき)大甕(おおがめ)の復元その1 9月21日更新

 昨年度曽我墓所遺跡から出土した須恵器大甕を覚えていますか。復元すれば高さ1メートルほどにもなる特大サイズの資料です。
 破片数は約1,650点、重量は約30キログラム。接合作業をしてみると、部分的になくなっているものの上(口縁部(こうえんぶ))から下(底部(ていぶ))まで残っていることが分かりました。口の部分の直径が約54センチメートル、破片数も多いので、ある程度のまとまりにしてからくびれている部分(頸部(けいぶ))の上下それぞれで組み立てて合体させようと考えました。

 まずは上(口縁部)から、逆さにして作り始めました。順調です(写真1)。次に、くびれの下(体部)も逆さにして復元していきます。膨らみが大きく重いため、組み立てるのに四苦八苦(写真2)。それでも何とか一周しました(写真3)

上下で合体してみると…なぜかしっくりきません。原因はわずかな接合のズレのようでした(写真4)。残念ながら見過ごすわけにはいきません。接合した部分を外すことにしました(写真5)。さて、どうなってしまうのでしょうか。

道正(どうしょう)遺跡から出土した土器の接合作業をご紹介します 9月14日更新

 令和2・3年度の道正遺跡発掘調査の際に出土した遺物の接合(せつごう)作業を行っています。作業している遺物は、6月17日号で紹介した古墳時代の大型竪穴建物(たてあなたてもの)から出土したもので、土師器(はじき)が主体です。
 接合作業は、出土地点が近い土器の口縁(こうえん)部や体部など土器の部分ごとに集めて作業を開始します。今後は、竪穴建物と周溝(しゅうこう)など地点の離れた遺物同士の接合関係を見ていくので、その過程で部分的にしか接合できていなかった遺物がより完形に近づくのではないかと期待しています。

インターンシップの学生さんが仕事を体験しました 8月30日更新

文化財センターにインターンシップの学生さんが来られました。
センターの中で仕事をして、感じたことや市民のみなさんに伝えたいことを学生さんから記事にしてもらったので、ご覧ください。

資料の保存処理について

 皆さんは木材資料や金属資料の保存方法をご存じでしょうか。
 これらの資料は、トレハロース水溶液の含侵やサビを取り除いていくことで本来の姿を取り戻していきます。
一見ただのゴミに見えるようなものが、当時の姿に戻っていくのはとても素敵なことですね。資料を復元し、保存するのはとても手間がかかる作業ではありますが、歴史を後世に残していこうとする取り組みは、やはり大切なものだと感じました。

発掘調査現場に行ってきました


発掘調査現場での研修

 「国指定史跡 古津八幡山遺跡」の発掘現場に行ってきました。
 博物館などでよく見る土器や石器は、発掘調査をすることによって発見されます。発掘調査では遺物や遺構がある可能性があるので、少しずつ丁寧に発掘作業を行います。また、屋外で長時間作業をすることになるので、発掘作業はとても大変な仕事です。しかし、新潟市に何か大きな歴史のヒントが眠っているのではないかと考えながら作業をするのは、ワクワクして楽しい時間でした。

新たな発見で楽しみ倍増 8月19日更新

 2019・2020年度に発掘調査した曽我墓所(そがぼしょ)遺跡の報告書を作成するために、整理作業を行っています。今回は、遺跡から出土した金属製品について、作業の一部をご紹介します。


X線透過撮影装置

 X線撮影装置です。X線を物質に照射するとX線を透過(とうか)しやすい部分は黒く、透過しにくい部分は白く写ります。この性質を利用することで、サビに覆われた金属製品の本来の形や劣化など内部の様子を調べることができます

写真は、曽我墓所遺跡から出土した鉄製品です。変わった形のサビの塊に見えますが、X線撮影を行ったところお坊さんが持つ仏具の一つ「錫杖(しゃくじょう)」であることが分かりました。

 こちらは錫杖と同じ遺構から出土した鉄製品です。X線写真から「鉄鐸(てったく)」という、祭祀に関係する遺物と思われます。鉄鐸は県内初の出土です!錫杖とともに仏教関係の祭祀に使用されたのでしょうか。
 今後も、更なる発見を楽しみにしつつ整理作業を進めていきます。

古津八幡山(ふるつはちまんやま)遺跡の発掘調査開始です 7月29日更新


新たな調査区での掘削作業

 今年度も古津八幡山遺跡の発掘調査が始まりました。この調査は道路などの開発に伴うものでは無く、「史跡指定地外における遺跡の状況の把握」を目的とした確認調査です。
 今年度の調査地点は、昨年度までで調査を終えた大型竪穴建物などが見つかった場所よりさらに北側です。
この調査地点は、昨年度も4か所の小さな調査区を設けて調査した場所です。その際に新たな遺構と遺物を発見していました。
そこで今年度の目標は、

  • 昨年度見つけた新たな遺構・遺物の広がりを確かめる
  • さらに北側にも調査区を設けて、そこでの遺構と遺物の分布状況を確かめる

です。

さて今年は何が見つかるか?10月前半に現地説明会を予定しています。

おしゃれな火鉢の物語その2 7月20日更新

 2020年の学芸員コラム6月号でご紹介した細池寺道上遺跡の火鉢について、さらに詳しく紹介したいと思います。
 火鉢1と火鉢2では、実は文様のつけ方が全く異なっています。火鉢1の底には、中心を通り横断する一条の継ぎ目が観察できることから、文様を刻んだ型に粘土を押し当てるなりして、成形と同時に文様をつけたものを半分ずつ作ったと考えられます。このような細密な型をどうやって作ったのでしょうか。鋳造(ちゅうぞう)用の型の技術を焼き物に応用したのかもしれません。
 火鉢2は形ができている表面に文様を刻んだローラー状の工具を転がしているようです。口の部分の花文は4個で1周しており、ひし形が連なるように見える地の部分は鋸歯状(きょしじょう)(ギザギザ模様)の単位文様を山をずらしながら上下に何段も重ねることにより作られています。中国風の雷文を意識したものでしょうか。また、内面には指紋が見られ、工具を転がす際に手で支えた痕かもしれません。

モデルはドッキ土器 7月1日更新

文化財センターには写真撮影用のスタジオがあり、発掘調査報告書に載せる土器・石器などの写真を撮影しています。室内には窓はなく、照明を付けないと真っ暗、撮影用ライトの光が意図しない方向に反射しないよう室内は灰色に塗装されています。土器表面の細かなデコボコ模様がきれいに写るようにライトの位置や光の強さを調節しながら撮影します。ライトを浴びた土器はまさに一流モデルのようです。

道正(どうしょう)遺跡の発掘調査が完了しました 6月25日更新


道正遺跡完掘写真

 4月12日から始めた発掘調査が6月24日の下層全景写真撮影をもって終了しました。
 面積は720平方メートルと少ないながらも、縄文時代・古墳時代・平安時代の3時期の遺構・遺物が見つかりました。また遺跡が南西へと延びる砂丘上に広がっていることも分かりました。
 事故無く無事に終了できたことが何よりです。発掘作業員さんはじめ皆さまに感謝です。

道正(どうしょう)遺跡の中層調査が終了しました 6月17日更新


道正遺跡中層全景写真

5月中旬から始まった中層の調査が終了しました。遺構は竪穴建物(たてあなたてもの)1棟、土坑(どこう)4基、溝、ピットが見つかっています。竪穴建物は、1辺が8.6メートルあり、その大きさから「特大型竪穴建物」と呼んでいます。非常に残りがよく、県内では検出例の少ない周堤(しゅうてい)周溝(しゅうこう)などの施設も見つかりました。

道正(どうしょう)遺跡の上層調査が終了しました5月31日更新


道正遺跡上層全景写真

 4月からはじまった道正遺跡の上層(平安時代)の調査は、全体写真の撮影をもって終了しました。
 遺構は掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)2棟、土坑(どこう)3基、溝9条が見つかりました。掘立柱建物のうち1棟は、柱間(はしらま)が2.5メートルもあり、道正遺跡で最も大きいサイズです。また、掘立柱建物からは、日常生活で使用した土器がたくさん出土しました。
 6月12日(土曜日)には現地説明会を開催します。当日は発掘現場の見学や調査担当者による説明、出土遺物の展示を行います。ぜひ、現地にお越しください。

発掘調査現地説明会ページへのリンクです

収蔵民具の紹介「黒埼村(くろさきむら)郷土藝術(きょうどげいじゅつ)競演(きょうえん)大会優勝旗」5月31日更新


優勝旗

 國防(こくぼう)教育大博覧會(きょういくだいはくらんかい)は昭和9(1934)年7月10日から57日間、万代橋近くの県営埋立地で行われました。
 敷地総面積3646坪、全14館からなる大規模なもので、そのタイトルが示すとおり国防思想の啓蒙(けいもう)が目的の博覧会でした。新潟毎日新聞社が昭和10(1935)年に出した「皇太子殿下御降誕記念国防と教育博覧会誌」によれば、その際行われた大野郷(おおのごう)五ヶ村による郷土藝術競演会で、各村に賞状と共に優勝旗が授与されたとの記録がある事から、その際の優勝旗と考えられます。演目は木場が(ぼう)踊り、大野は芸妓(げいぎ)による踊り、板井(いたい)が甚句、黒鳥(くろとり)長刀(なぎなた)踊り、小平方(こひらかた)が獅子舞でした。

導入展示室の木製品展示を再開しました5月26日更新

 調査研究のために長らく展示から外されていた馬場屋敷(ばばやしき)遺跡の木製品の展示を再開しました。テグスで木製品を直接アクリル板に留めると、テグスがくい込み木製品が痛んでしまうため、カラミ止めと呼ばれるチューブにテグスを通して遺物を保護しています。久しぶりに壁面全てに木製品が並んだ状態を是非見にいらしてください。
 なお、この馬場屋敷遺跡出土木製品の研究成果については、文化財センター年報8号に「南区馬場屋敷遺跡下層出土の木製品」として掲載しています。こちらもご覧ください。

このページから過去の年報をダウンロードできます。

道正(どうしょう)遺跡で管玉(くだたま)が出土しました5月19日更新


出土した管玉

 道正遺跡の発掘調査現場で管玉が出土しました。管玉は細い筒状の装身具(そうしんぐ)で複数の管玉を紐に通し、首飾りや腕飾りとして用いられていたと考えられています。本遺跡から出土した管玉は古墳時代のもので、石材は緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)とみられます。長さは16ミリメートルで、直径1ミリメートルのとても小さな穴があけられています。
 現在、発掘調査現場は古代・古墳時代の層を掘削しており、土坑や溝などの遺構も多数検出できるようになりました。今後も遺物や遺構がたくさん出土することを期待しています。
 6月12日(土曜日)には現地説明会を開催します。当日は発掘現場の見学や調査担当者による説明、出土遺物の展示を行います。ぜひ、現地にお越しください。

発掘調査現地説明会ページへのリンクです

体験道具の準備5月19日更新

6月の団体見学ハイシーズンを前に、体験学習で使用する道具の準備を行いました。
当センターで人気の「火起こし」と「勾玉」の道具製作をご紹介します。火起こし用の(うす)は、ホームセンターで購入した杉材をカットし、ボール(ばん)で臼の位置を出します。火だねができるよう角度の調整が肝心です。勾玉は、体験時間の短縮のため、ある程度までカットしています。
どちらも発掘調査の仕事では使わないような工作機械を使用します。安全に気を付けて作業を行います。

環状瓶(かんじょうへい)の容量は?(曽我墓所(そがぼしょ)遺跡)4月30日更新

昨年、曽我墓所遺跡から出土した特殊な容器「須恵器(すえき)環状瓶(かんじょうへい)」。かわいい鳥形の足付き。
一緒に見つかった土器から奈良時代の祭祀(さいし)的な道具と考えられます。液体を入れて使用されたと思われますが、果たして容量はどれくらいなのか実験してみました。センター職員の予想は0.8から1.5リットルとバラついていました。

想像してみてください。
環状瓶の重さは約4キログラム。満タンの環状瓶から液体を注ぐ時の重さは6キログラムを超えます。特別な時にだけ使用した道具なのでしょう。支える足も辛そうです。

包含層(ほうがんそう)掘削をはじめました(道正遺跡)4月23日更新

 4月3週目から遺物(いぶつ)包含層(遺物の含まれている層)の掘削を始めました。
 現在掘っているのは9世紀後半の平安時代の遺物包含層で、遺物を壊さないよう人力で少しずつ掘り下げています。須恵器(すえき)土師器(はじき)がたくさん出土するので、作業員さんたちは宝さがしのように楽しく作業をしています。

よりわかりやすく親しみやすく4月19日更新

 平成26年からはじまった文化財センターの企画展も今年で8年目になります。毎回アンケート等を見て改善をしていますが、長年の課題として専門的な言葉になりがちという点があげられます。
 そこで、私たちも親しみやすく分かりやすくなるよう工夫を凝らしています。例えば復元図としてイラストを添えること。穴しか残っていない遺跡について視覚的に理解しやくなります。また今回は、発掘調査の話題を4コマ漫画にしてみました。絵の上手な職員の力を借りて見様見真似のチャレンジです。
 文化財センターでは4月20日(火曜)から、古津八幡山弥生の丘展示館では4月27日(火曜)からそれぞれ企画展が始まります。是非見に来て下さい。

本発掘調査に向けて始動(道正(どうしょう)遺跡) 4月15日更新


農道部分を調査します

 昨年度は新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言を受けて、連休明けの調査となりました。今年度も相変わらず厳しい状況ですが、4月12日から江南区に所在する道正遺跡の発掘調査を始めました。
 調査区は矢板に囲まれた農道部分です。面積は240平方メートル×3面=720平方メートルです。昨年の調査結果から上層(9世紀後半平安時代)、中層(4世紀古墳時代前期)、下層(約2,700年前縄文時代晩期)と3層あることがわかっています。遺構・遺物がたくさん見つかることを期待しています。

2020年度の発掘調査ニュースと学芸員コラム

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