市報にいがた 令和元年12月1日 2708号 5面
最終更新日:2019年12月1日
みなとまち新潟 歴史探訪(28)
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新潟東港と古代の塩作り
信濃川河口の新潟港(現在の西港)は、開港当初から水深が浅く大型船の入港が難しいという課題がありました。高度経済成長期に入ると、大型船が入港できる競争力のある新しい港を造り、周辺を一大臨海工業地帯にしようという機運が高まりました。阿賀野川と加治川の間の砂丘地を掘り込み、将来的に10万トン級の船が入港できる工業港(現在の東港)を造る計画が策定されました。そして、昭和38年(1963年)から工事が始まり、6年後の昭和44年(1969年)に新潟東港は開港しました。
昭和43年(1968年)の中央水路掘削工事で、8メートルほど掘り下げた海水面に近い地点から焼けた砂と大量の土器片が出土しました。緊急調査の結果、土器の大半が海水を煮詰めて塩を作るためのもので、8世紀前半の製塩遺跡と分かり、「出山遺跡」と名付けられました。東港の工事では9世紀半ばごろまでの他の製塩遺跡も発見され、この地では百数十年にわたって専業的に塩の生産が行われていたと考えられています。古代、東港の周辺は塩の一大生産拠点だったのです。
出山遺跡の概略位置図(新潟歴史双書2『新潟市の遺跡』より)
出山遺跡製塩炉模型(新潟市歴史博物館 常設展示より)
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