平成30年11月14日 市長臨時記者会見

最終更新日:2018年11月16日

市長臨時記者会見

(表)開催概要
期日

平成30年11月14日(水曜)

時間

午前10時30分から午前11時30分

場所 新潟市役所(本館6階 執行部控室)

発表内容

質疑応答

配布資料

市長臨時記者会見動画(11月14日開催分)

発表内容

1.篠田市政16年について

 私が新潟市長に就任させていただいてから4期16年が経つということで、任期もあと残りわずかとなりましたので、篠田市政16年の振り返りというものを、内部評価、庁内でまず総括しようということで作業していました。その作業がほぼまとまりましたので、今日はその結果について皆さま方にご説明いたします。
 お手元に配布されている資料「篠田市政16年の軌跡」ということでございます。16年の軌跡は章立てでありますけれども、まず、大合併-政令市、続いて市政運営の土台づくり、そこに加えまして、現在の総合計画の三つの都市像。一つは「市民と地域が学び高め合う、安心協働都市」ということでありますが、その中で中項目として、ずっと安心して暮らせるまち、子ども・子育て支援、新潟らしい教育、市民生活、安心・安全という分野で総括をしております。二つ目の都市像、これは「田園と都市が織りなす、環境健康都市」ということであります。ここでの中項目として、ニューフードバレー、健幸都市づくり、(スマートウェルネスシティ)、まちなか活性化、公共交通、環境・ごみ減量ということで総括をしております。三つ目の都市像「日本海拠点の活力を世界とつなぐ、創造交流都市」という分野になります。ここでも同じように拠点化、働く場づくり、文化創造、観光・国際交流という中項目で総括しているということであります。
 さらに別冊といたしまして「8区のあゆみ」と年表を付けてあります。また、若干のデータを入れました「資料編」を今、整理中ということで、必要なデータなども12月議会前にはご覧いただけるように作業してもらっている状況であります。
 ここから、私なりに16年を振り返りたいと思っております。16年前、新潟市長選の最大の課題、テーマは大合併、政令指定都市づくりということでありました。私は、本州日本海側で最初の政令指定都市をつくるという意味も含めて、大合併には賛同するという立場でありましたけれども、その前は新聞記者として取材していると、黒埼町との合併のときに、相当不安、懸念の声が強かったということを覚えています。「大合併をすると、私たちの声が役所、役場に通らなくなるのではないか」ということや、どうしても周辺が寂れてしまうのではないかといった懸念がかなり強いということを感じましたので、基本的には市民のための大合併にしなければならないと。市民のための大合併にするには市役所改革が欠かせないということを申し上げ、当選させていただいたと思っております。市民のための大合併にするには、市役所職員が市民目線に立ち、市民としっかりキャッチボール、意見交換ができる、そういう職員に自己改革をしていく。市職員の意識改革というものを強く求めてまいりました。この結果、当時と比べることは意味がないかもしれませんが、市の職員の意識は格段に変わったと思っておりますし、また、すべてのことを行政だけでは解決できないのだと、地域のパートナー、企業、民間、ボランティア、コミュニティ協議会など地域の組織と連携して仕事をやってこそはじめて成果が出るという意識は相当浸透していると思っています。また、窓口業務などの市民満足度調査も年々向上しているということで、市の職員もかなり頑張って意識改革をしていると思い、そこはそれなりに感謝しています。
 各分野の振り返りですけれども、私は大合併が確定した段階で、「新・新潟市合併マニフェスト」というものを作らせていただき、新しくできあがった新潟市がどのような都市になるのかをさまざまなデータで見てもらい、新潟市が進む大きな方向を「三つの都市像」としてお示しをいたしました。それが「世界と共に育つ日本海政令市」、「大地と共に育つ田園型政令市」、「地域と共に育つ分権型政令市」という三つの都市像。これが今の総合計画の都市像ともつながっていると思っていますので、私は最初の合併マニフェストでお示しした都市像で振り返ってみたいと思います。市民が主役の市政を作りたいというのが分権型政令市の原点、土台だと思っています。先ほど申し上げたように、行政だけではさまざまな市政課題、あるいは新潟市民の皆さまへ成果をお届けすることは行政だけではできないと考え、市民の安心安全を守る、これは行政が責任を持って最大限頑張ることですけれども、大災害などの場合は、まさに地域の命は地域で守る、家族の命は家族で守るということが現実として必要だと。そういった地域力をより発揮していただく。幸い新潟市は、市民力、地域力が非常に強いということがさまざまなデータからも把握できましたので、この特性を伸ばしていただきたいということをお願いしてまいりました。
 その特性をさらに発揮していただくために、小学校区を中心に99のコミュニティ協議会を組織いただいたということでありました。コミュニティ協議会にお願いしたのは、まずは地域の安心安全を高めていただく取り組み。2点目は子どもたちの育ち、学校を支援しながら、子どもたちの育ちを地域から支援いただくという点でございました。3点目は地域福祉の向上ということで、この三つの分野で頑張っていただく。それには活動支援費を差し上げることを原則としてやってきて、安心安全の土台が高くなったと思っています。また、合併に当たって合併建設計画などをチェックする地域審議会というものを旧市町村単位で作ってもらったわけですけれども、それを発展的に解消して、それぞれ八つの区に自治協議会を作っていただいたと。この自治協議会とコミュニティ協議会に分権型政令市の両輪という形で頑張っていただいていると思い、感謝しております。
 2番目の田園型政令指定都市ですけれども、新・新潟市のデータをチェックしましたところ、島根県並みの水田面積を持つ、非常に大きな農業の力を持つ大農業都市が日本で初めて誕生したことを把握できました。大地、農業の力をさらに発揮いただくために、田園型政令指定都市という都市像を掲げさせていただいたということでありました。大地、農業の力を、例えば子育て、教育、福祉などにも生かす12次産業化という方向性、これもおそらく全国で初めて新潟市として提示させていただいたということでございました。この中で、農業者に一番喜ばれたのは、「がんばる農家支援事業」で、農家さんのやる気を引き出すということであり、また、新潟市の方向性を示すという面では、完全米飯給食あるいはすべての子どもたちに農業体験、食育に取り組んでいただき、12次産業化の基を作ったと思っています。こういった新潟市の農業都市としての取り組み、改革意欲を評価いただき、国家戦略特区で新潟市を大規模農業の改革拠点と位置付けていただき、規制緩和を使った企業の参入、農家レストランも非常にありがたいのですけれども、さらにありがたいのは、ICT農業を農業特区となった新潟市でやろうということで、NTTドコモやベンチャー企業などさまざまな企業からAI、ドローンなどを使ったICT農業を展開いただいているということであります。今、70歳代後半という農家さんが多数いらっしゃるので、今後、農家さんのメンバーが大きく変わっていくだろうと。そういうときに、ICT農業は非常に大きな力になるのではないかと期待をしております。また、健康づくりにも大地、農業の力をということで、コミュニティ協議会には健康寿命延伸ということで、中学区単位で健康データを見える化して取り組んでいただいているというのも、これらの取り組みの延長線にあると思っています。
 3点目が日本海政令市ということで、開港五港の歴史、日本海のセンターに位置しているという新潟市の地理特性を生かして、さらに発展させようということで掲げた看板であります。合併当初、例えば東港の工業団地、これは豊栄市が持っていたのですが、東港の物流団地がなかなか売れない状況だったのが、一、二年で完売したと。あるいは白根北部第2工業団地は20パーセント台しか売れなかったのが一気に70パーセント台まで売れたというようなことで、合併効果、政令市効果の前倒しをかなり発揮していただいたと。新潟の市街地はホテル、マンションの建設ラッシュになったというような状況でしたが、残念ながら、それは政令市が発足した2007年7月の中越沖地震で急ブレーキがかかったと。原発絡みの風評被害は新潟市にとって相当なダメージでありました。また翌年にはリーマンショックということで、世界経済不況という波が来て、政令市効果を大きく発揮する時期が少なかったことは、非常に残念なことであります。
 また、空港、港湾ですが、この数字を見ると、むしろ拠点化は後退したと総括せざるをえない時期が長かったと。これについては、申し訳ありませんが、県のリーダーシップ不足、県内市町村が力を合わせることがなかなかできなかった時期が残念でなりません。しかし、昨年は港の方も、コンテナの取扱量が前年を上回り、また、空港もかなり明るい要素が出てきたと。何よりありがたいのは、新潟県と新潟市はおそらく平成に入って、今の関係が最も良好だと思っています。それぞれの都市像ごとに、「明日に向けての布石」ということでまとめたものが付いております。例えば創造交流都市の分野でも、インバウンド、新規航空路、クルーズ船の誘致あるいはコンテナ、物流をさらに強化しようというテーマで、新潟県と新潟市の担当者が意見交換の場を定期的に持つということで花角知事と合意をいたしまして、私の在任中に動き出すということで、花角知事からは週に1回くらい打ち合わせ会議をやったらどうかということで提起いただいております。これは、私どもが泉田知事のときに提起した新潟州構想。港湾管理者は県ですので、港の振興については新潟県、新潟市、経済界が力を合わせ、司令塔を知事ということで明確にする取り組みが残念ながら実を結ばなかったわけですけれども、名前は違いますけれども、そういった体制が整ったということで、大変うれしく思っています。
 拠点化の一番の核である港湾、空港についてはなかなか成果が出せなかったわけですけれども、新潟市は航空機産業の共同部品工場も二つすべて埋まってフル稼働体制に入ったということです。また、持続可能なまちづくりを含めてBRT・新バスシステムを3年前に導入し、導入前後にご批判もいただいておりますが、結果的には、今まで1年間で80万人ほど減っていたバスの利用者が、1年目で下げ止まり、増加に転じたという状況です。3年前、バスの利用者は2,000万人を割ってしまったのですけれども、これが3年目で140万人増加したということで、2,100万人台を回復したということなので、これについては持続可能なバス交通の土台ができたと評価しており、さらにこういう数字のことについても広く市民に知っていただきたいと思っています。また、新潟拠点化の一つのポイントである新潟駅周辺整備についても、今年、高架駅第一期開業を迎えることができ、来年は八千代橋のところから駅南けやき通り、笹出線にスムーズに移動できる道路が開通すると。2021年度には高架駅全面開業という形になり、2022年度が駅下の交通広場が完成ということになります。そうすると、南北乗り換えなしでバスでつなぐことができるということで、乗り継ぎ、乗り換えの不便についてはこちらで劇的に改善できるだろうと思っています。2023年度は万代広場の供用ということで、新潟駅の高架事業はほぼ終結するということで、新潟のまちづくりの大きな核を県の協力もいただいて作ることができたと思い、感謝しています。
 一方では、中国総領事館を新潟に開設いただいたり、G8、G7、APEC、来年はG20という大臣会合をすべて新潟市開催いただけたと。また、2015年には東アジア文化都市に選定されました。これは「水と土の芸術祭」の効果が大きかったと思うのですが、文化拠点という位置付けは相当強化できたと思っています。
 一方、財政ですけれども、ご承知のとおり、基金が底をついてきたということでご心配をおかけしておりますが、ほかの財政主要4指標はそれほど悪いものではないと。特に経常収支比率は政令市の中でも上位にあるということなので、財政の基盤が揺らいでいるわけではないと。しかし基金が底をついたので、できるだけ切り詰めていくものは切り詰めるということで、全庁あるいは全市民にもその考えを徹底して財政再建をやっていきたいと。この前の冬の大雪という、まさに106億円の除雪費がかかったということは非常に大きなダメージでしたけれども、それもまだ何とか飲み込むができる財政基盤が新潟市にもあったということでもあります。今後、私どもが作った行政改革プラン2018を次期の市長からしっかりと点検いただいて、次期市長の色合いを打ち出して、行政改革を切れ目なく進めていただければということで、お願いしたいと思っております。
 16年の振り返りは以上のとおりです。

2.「水と土の芸術祭2018」について

 2件目の案件として、10月8日に閉幕いたしました「水と土の芸術祭2018(ニ-ゼロイチハチ)」について、一応の総括ができる段階が来たということでご報告を申し上げ、また、芸術祭にご協力いただいた皆さま、ご参加いただいた皆さまに感謝を申し上げたいと思います。
第4回目となった今回の芸術祭は、新潟開港150周年記念の主要事業という位置付けでございました。1回目から継続してきた基本理念のもと、「メガ・ブリッジ ― つなぐ新潟、日本に世界に ― 」という新たなコンセプトを掲げ、これまでにない多彩なアプローチで新潟市の魅力を発信させていただきました。
 今回は「分かりやすい」という声も多数からお聞きいたしました。一方で美術の専門誌でも、非常に存在感のある芸術祭だという評価もいただいたと。一般の方からも専門家の方からも一定の評価をいただいたと思っております。
スタンプラリー参加者も1,300人を超え過去最高となりました。アート作品を通して本市を体感していただく一方、食や伝統芸能などの暮らし文化も楽しんでいただけたと思っております。万代島多目的広場のアピール、みなとの賑わいにもつなげることができたと考えております。
参加者数・来場者数はまだ概ねでございますけれども、まとまりましたので、ご報告させていただきます。
配布資料の一覧表でございます。参加者数812,387人、来場者数はご指摘をいただいた「みずつち給食」などの参加者を除いたものということになります、717,406人ということであります。
 参加者数は各事業の延べ人数で、過去3回の芸術祭と同様の考え方で算出しております。
アートプロジェクトの来場者数は、潟をメインフィールドとして無料化した2015年開催の前回と比べると、14万3千人ほど減少いたしました。これはこの夏の酷暑、あるいは観覧料を一部有料化した影響と考えております。
しかし、有料化やメイン会場を同じくした2012年開催の第2回芸術祭と比較いたしますと、会期が164日間から87日間となっておりますので、一日当たりの来場者数では、第2回が約3,120人、今回は約4,980人、160%増ということになりました。芸術祭が市民から支持・支援していただいた結果ということで感謝しております。
 また、別紙資料「来場者の属性」であります。性別として60.4%が女性、年代では20代から40代が全体の66.6%、前回と同じ傾向でありました。
 また、市外からの割合も、海外を含め、前回より増加して49.7%となっております。交流人口の増加にも大きく寄与できたのではないかと考えております。
 今後、詳細な結果をまとめ、12月議会でご報告したいと考えております。
 また、今回の経済波及効果についても、前回同様に民間専門機関に委託し算出すると。年度内にはこれも公表できると思っております。
 私からは以上ですが、今日は、今回の芸術祭でアートディレクターを務めていただいた塩田 純一さんから来ていただいておりますので、塩田さんから一言お願いします。

(塩田アートディレクター)
 皆さんこんにちは。今ほど市長からご紹介にあずかりましたアートディレクターの塩田 純一でございます。今回の「水と土の芸術祭」は谷 総合ディレクター、藤 浩志 市民プロジェクト・ディレクター/こどもプロジェクト・ディレクターとともに企画に当たりました。その立場から、今回の芸術祭について、せんえつですがお話をさせていただければと思います。
 アートプロジェクトに関しましては、旧水揚場・万代島多目的広場、旧二葉中学を改装した「ゆいぽーと」を中心とする砂丘エリア、鳥屋野潟の天寿園の三つに集中して展開いたしました。万代島多目的広場では水と土、火と風も加え、それらを象徴的に扱った大型作品が設置され、大変見応えのある展示が実現いたしました。ことに、松井 紫朗さんの巨大な布製のチューブの作品。この中に入り込んで内部空間を体験していただくという作品でございましたが、子どもさんをはじめ幅広い世代の方々に好評で、大変親しみやすいものとなりました。また、タイの作家、ナウィンさんという方が、新潟市民にインタビューして構成した絵画、映像作品が新潟のまちの過去と現在を分かりやすく伝えてくれるユニークな作品となりました。「ゆいぽーと」では、青少年の研修宿泊施設であるということで、若い作家さん、伊藤 遠平さん、占部 史人さんが3カ月滞在していただいて、新作を制作いたしました。会期中、子どもたちを対象としたワークショップも何度か行われ、親子連れで気軽に参加しお楽しみいただくという、とても素晴らしい光景が見られました。
 また今回、水、土に加えて環日本海というもう1本の柱を建てました。新潟の対岸の国々、すなわち中国、韓国、ロシアとの交流、異文化の相互体験によって、日本海に想像上の橋を架けるという、ある意味壮大なビジョンを展開いたしまして、このテーマの作品は天寿園に集中し、新潟の未来を予感させるような若い作家さんの大変意欲的な作品が並びました。芸術祭は今回で4回目となりましたが、全国各地で芸術祭花盛りでございます。その中で、美術関係者、あるいは首都圏のメディアから大変高い評価をいただいております。
 今回、私は内部から関わらせていただいたことで、芸術祭の蓄積が徐々に表れてきつつあるように実感いたしました。ことに市民プロジェクトは市長からも、新潟の市民力というお話がございましたけれども、新潟の外の方々からも、新潟の市民力を示すものと高い評価をいただいております。回を重ねるごとに着実に成長し、新潟8区のあちこちで大変質の高い成果が生まれてきているということを実感いたしました。私たちディレクターの役割や新潟という可能性豊かな土壌にアートの種、文化創造の種をまくことであろうと思っています。すでに芽吹いて成長しているものもありますが、これがさらに花を咲かせ、大きな実を結ぶであろうことを祈念しております。
 以上、簡単ですが、アートディレクターの立場としての私なりの総括とさせていただきました。ご静聴ありがとうございます。

質疑応答

「水と土の芸術祭」について

(記者)

 「水と土の芸術祭」の関係なのですけれども、こういう形では今回が最後とおっしゃいましたけれども、すべて振り返って、市長としての所感をお願いします。

(市長)

 当時、「大地の芸術祭」はすでにスタートしていましたけれども、全国的にも大規模芸術祭はそれほど多くなく、新潟の文化創造都市を目指すという取り組みのシンボルとしてやらせていただき、賛否両論もいただきましたけれども、基本的には4回積み上げさせていただいて、市民プロジェクトなど相当のノウハウ、これから独自に発展できるという土台ができあがったと思っています。ご承知のとおり国の方でも、今までの文化芸術振興基本法を文化芸術基本法に変えたわけですけれども、そこで新たに食文化と芸術祭が個別に明記されたと。芸術祭を国が追認したと。私どもが取り組んできた食文化創造都市の部分も国に追認していただいたということで、これからは食文化あるいは芸術祭などは標準装備になるということなので、新潟市の場合はこれまで築き上げた土台の上に文化プログラムを2020年まで展開すると。また来年は新潟県が国民文化祭をやると。全国障害者芸術・文化祭も併せてやるということで、DC(デスティネーションキャンペーン)のキャンペーンもあります。そして2020年は東京オリンピック・パラリンピックで大勢の人を、文化の力も含めて新潟に招き入れるという取り組みをやって、それ以降、どうやっていくか。おそらく国の文化に向ける熱意も相当上がってくると思うので、その段階で東京オリンピック・パラリンピックの取り組みなどを総括して、2021年からの展開をどうするかということを改めて考えていただければいいのではないかと。幸い、食文化の方はJRさんがデスティネーションキャンペーンで「日本海美食旅」ガストロノミーと。うちもガストロノミーの旗手となるということでやってきましたので、これもJRさんがもろにど真ん中に据えてくれたということで、民間で動き出しているということなので、民間の力を今後さらに活用させていただいて、「ガストロノミーシティ新潟」という評価を確立いただける土台もできあがったと思っています。

(記者)

 芸術祭という形と役割というのは今回で十分かなという。 

(市長)

 それは次の市長さんが市民の声を聞きながらお考えになればいいので、芸術祭は当たり前にやる、文化芸術の標準装備の一つとなったので、それを新潟市としてどう新たな段階に進めるか。幸い、新潟の文化創造力は相当土台ができていますので、その土台をどう活用するか、次期の市長がいろいろな方と意見交換してお決めいただければいいのではないかと思っています。

(記者)

 前、議会でも指摘があった来場者数の算出根拠の関係なのですけれども、「みずつち給食」は今回外れていますけれども、カウントをより正確にするために、ほかに見直した点はあるのでしょうか。

(市長)

 必ずダブルカウントになるよねというもので、一部、バスツアーなどはそうでしょうか。そのあたりは外しましたが、やはり数が大きいのは給食です。

(記者)

 2点、ご質問します。1点は、「水と土の芸術祭」の総参加者数の目標として、以前、市長は77万7,000人を挙げていらっしゃったのですが、参加者数としての目標は超えましたが、「みずつち給食」を除くと届かなかったわけですが、その点についてはどうお考えかということがまず1点と、もう一つは、前回3回までの芸術祭と比べて今回良かった点、効果、悪かった点や反省点があれば教えていただきたいです。

(市長)

 より大勢の人から参加いただくには無料ということが有効かもしれないねということで、3回目は「潟」がメインフィールドになったということも含めて、いったん、すべて無料という形でやらせていただいたので、一部でも有料ということは参加者に影響があったのだろうなと思っています。参加されるのもありがたいのですけれども、参画するというか、主体的に取り組んでいただく方の市民の数は、どの芸術祭にも負けないと思っているので、それを今後、どのような形にしていくのか、それぞれの財産をそれぞれが生かせる仕組みを次期市長さんにもぜひ考えていただきたいと思っています。

(記者)

篠田市政16年を振り返って

(記者)

 それ以外はバスツアーの部分だけを少し変えたと。それから、冒頭の16年の振り返りの関係なのですけれども、最初、黒埼の合併の関係で、周辺が寂れてしまう懸念も感じたとおっしゃいましたけれども、現状、旧市と周辺部の関係を見て、その辺の所感はいかがでしょうか。

(市長)

 安心安全の部分の土台が、消防力も含めて強力にアップしたということは多くの方々から認識いただき、そういう面で、合併してどうだったというお話もまだまだ伺いますけれども、現実として前進しているものが大半であるということはだいぶ理解されてきたと思っています。安心安全の部分では、旧町村の絆、地域の絆みたいなものは非常に大切な財産だということで、あまり大きな改革をせず、画一的な旧新潟市のやり方を押し付けるということはしませんでしたので、ここの部分が、今、地域で医療、介護を受けられる地域包括ケアの取り組み、それには新しい支え合いのしくみも必要なので、このような取り組みはさわやか福祉財団の評価では、新潟市が大都市の中で、あるいは県庁所在都市を含めて一番進んでいるという評価もいただいているので、まず、安心安全の土台が高くなったということは、中心部も近隣も周辺部もないと思っています。
 しかし一方で、今まで役所があり、役場があり、何十人、何百人の議員、職員が常駐していたのがいないという部分で、活性化の面などでは心配がある、懸念があるという声もお聞きしています。これは昭和の大合併の地域も同じなので、そういうところにできるだけそれぞれの地域に中核施設、みんなが集まれる施設、賑わい施設ということで、これは「8区のあゆみ」をご覧いただきながら総括してもらえればと思っています。
 概して先ほどの港湾、空港が期待外れだったということについては申し訳なく思っておりますが、それ以外の面は結構頑張ったのではないかと思っています。

(記者)

 振り返って、成果の到達点なりがここ(資料)を見れば分かるのでしょうけれども、市長として、反省点があるとしたら、どのところになるでしょうか。

(市長)

 反省点というか、やはり拠点化です。日本海政令市ということを大きく掲げたわけですから、それが北東アジアの情勢が大変厳しかったとか、いろいろな国際情勢の問題もありますけれども、やはり県と市の関係だと思います。県と市町村がもっとしっかりスクラムを組んでいれば、実績、数字はこれほど落ち込まなくてもよかったと思っています。

(記者)

 8年前に新潟大和が閉店して、再来年には新潟三越が閉店すると。10年間で古町地区の二つ大きな百貨店がなくなるというのは、市長としてどのようにお考えでしょうか。

(市長)

 私も大型店の閉鎖、撤退にはずいぶん苦しんできました。一番はまずはダイエーが閉店したということがございました。あの場所で商業核での再生ができないのかということで、かなり方向が見えない期間があったので、これについては国の関係者とも意見交換をして、今は非常にいい形で再生していただいたと思っていますが、イトーヨーカドー木戸店も閉店したと。イトーヨーカドーの閉店撤退は今も続いているという状態で、これはまちづくりの努力で克服できるレベルではないと。郊外型大型店のさらなる展開や、一番は通販だと思いますけれども、その影響があると。そういうことが一番新潟の中心商店街である古町、西堀地区でも残念ながら、二つの百貨店が閉店したと。大和のときはどうなるか分からないと、塩漬けになってしまうのではないかという時期がかなりあり、これを打開するために新潟市としても相当努力をいたしました。
 結果的には新潟の経済界と県を含めた新潟の行政が力を合わせて再開発ビルを軌道に乗せることができたと思い、これが2020年の夏前にはオープンするので、三越さんが2020年の3月まで頑張っていただけるというのは非常にありがたいと思っています。三越の後もそう簡単に商業核を違うものに置き換えてということで再生できる段階ではないと思いますので、これも幸い新潟の地元企業が取得したということで、取得した企業も一番魅力的な再開発にしたいと。そのためにいろいろなネットワークを、新潟市のネットワークも活用させてほしいということなので、これまでの内々の勉強会でいろいろ提案をいただいていた企業グループなども紹介しているという状況です。これから、地域の中心市街地が元気になっていくには、居住人口、夜間、昼間の人口、地域文化、新潟の場合は専門学校を含めた若い方々の力というような総合力でまちの骨格を崩さないようにしていくということが大事だと思うので、三越さんの後がこのような形で再生されるというものを早期に発表していただくように、新潟市としても全力で支援し、伴走していくのが責務ではないかと思っています。
 新潟の古町のように、駅から離れて、しかも城などの中心施設がないという地域というのは全国ではめずらしいので、ここは新潟駅と古町、西堀をしっかり交通軸で結び付け、花街文化を生かしていく取り組みが必要なのだろうと。できれば2020年までにインバウンドで古町地区が賑やかになっているという姿を新潟県とともに作り出したいと。そのための布石は今いろいろやらせていただいているという段階です。

(記者)

 16年を振り返る中で、予想を上回る成果があった事業と、あるいは予想より苦戦したという事業、それぞれ印象的なものがあれば教えてください。

(市長)

 一番ありがたいのは、新潟の地域力で安心安全の土台、具体的にいえば地域包括ケアに向けての取り組みがこれだけ進んだということは非常にありがたいと思っています。また、これも地域力を活用させていただいて、子どもたちの学力が、学校を地域に開き、地域から支援される学校になってほしいという教育ビジョンの根本を教育現場、地域がよく理解して、地域の人たちが応援してくれる、それを励みにして子どもたちの学力も上がってきたと総括できるのは大変ありがたいなと思っています。
 残念なのはやはり、先ほどの港、空港、まちなかの、これはある面では時代の流れが相当激しいので、地方都市がデパートを持っているのが当たり前という時代がそう長くないのかもしれないなということも考えていかなければだめだと思っています。

(記者)

 政令市に移行してから内政的な部分も非常に整備があったと思うのですけれども、企業誘致とか企業進出に関して、政令市のスケールメリット的なものを生かせたのかどうかという部分で、数的に見てもどうなのだろうということがあるのですけれども、そのあたりに関しての所感をお願いします。

(市長)

 先ほど申し上げたように、中越沖地震までは非常に好調だったということです。それが風評被害、原発に関わるということなので、これは二度目の地震ということと相まって、相当強烈なブレーキになりました。そこにリーマンショックが来たということなのですが、私は企業立地がそれほど大きな力を持っているとは思えないので、むしろリーマンショックの後、新潟の食品産業が過去最高の実績を出したという、新潟の地元産業の力、特に食品産業というのはすごい力を持っているなということで、ニューフードバレーに結び付けていこうということでした。一番ありがたいのは地元企業から力を付けていただくことがありがたいので、そういう面では航空機産業も、県外から来ていただいた企業もありますけれども、地元、県内の企業が結集して、より大きな仕事に取り組んでいけるという実例を作りつつあると思っています。また、企業立地など、今日も報道されていましたけれども、新潟県は群馬県に次いで第2位で、トップは新潟県域ということなので、波はあるので、波に乗って行く必要はあると。今はチャンスだと思っています。

(記者)

 この前の市長選ではある候補が、篠田市長は最初に当選されたときは市民派の方として当選されて、それについては期待がかなり大きかったけれども、その後は国や特定の企業、団体の意向を気にする古い政治に逆戻りしたという主張をされていましたが、それについてはどう思っていらっしゃいますか。

(市長)

 浅い見方だなと思っています。それは民主党政権のときにも、私は当然、国の力、役割を引き出すものは引き出すと。今、しっかりとした意見交換ができない基礎自治体に国の仕事なんて来ません。そういう面では我々は国を利用するところは利用しているということで、東アジア文化都市、国家戦略特区(農業特区)なども含めて、G8、G7もそうですが、一市民派で仕事をしないというのが市民派ではないので、市民の声を聴きながらしっかりと国の仕事も取ってくる、国に仕事をやらせるというのも首長としての当然の責務なので、そういう面では、今回、石井国土交通大臣が小須戸の「もぐり橋」まで視察してくれたというのは、我々が地域の声を背負って、しっかり石井大臣と意見交換をした成果だと、それが市民派でなくなったのだということなら、そういう見方もあるのですかということですね。

(記者)

 周りの都市を見ますと、金沢だったり、仙台だったり、非常に活気のある都市もありますけれども、そういうものも振り返られて、市長が最初に出馬をしたときに、市長になりたいと思ったときの都市像と今の新潟市の姿というのはどうなのでしょうか。イコールなのか、差があるのかどうでしょうか。

(市長)

 最初の選挙のときも、私は交流人口を増やしたいということを掲げていたのですが、新潟市は当時、交流人口の拡大ということには、議員さんを含めてかなり関心がないという状況でした。しかし、これが定住人口の減少、そして交流人口も、まさにインバウンドが国内の観光客、宿泊客を追い越すというようなときが直前に迫っていると。そうするとやはりもう少し新潟の特徴、個性を発揮しないと、なかなか交流人口(増加)は難しいよねと。でも、新潟はいい要素をいっぱいもっているので、一回来てもらえればリピーター、あるいはその関連でその国、その地域の人がもっと訪れてくれるようになると。これがなかなかクルーズにしても、大型船は東港にしか着けないと。しかもその東港を改善するスピードが、県はそこは頑張ってくれたのですけれども、ほかに比べると遅かったということもあるので、やはりよその人を大切にする、港町は、よその人によってさまざまな刺激を受け、また活性化をしてきたわけですので、もう一度、みなとまち新潟の原点に戻ることが大事かなと。そのためには、開港150周年、まだあと1年ちょっとありますので、そのときに最大限、みなとまち新潟の良さを自ら知り、アピールし、それがまたリピーター、あるいはクルーズなどのインバウンドの増加という形で、実績が出てくると、やはりこれはいいことだねと、地域も協力しようと。来年は郵船クルーズ飛鳥2の自主運航を決めていただいたので、これは日報さんが飛鳥2を運航していただくツアーを作っていただくのもありがたいのですが、自主運航の寄港先になると、そこに世界のクルーズ船社が注目するので、そういう面では来年の郵船クルーズは9月でしたか、新潟寄港が非常に満足度が高く、新潟はすごくいいねと思っていただけるかどうかが勝負なので、勝負できる段階までようやくきたということかなと思います。新潟の市民力をおもてなし、歓迎の分野でも発揮していただくことが活性化の面でも非常に大きいと思っています。

(記者)

 16年の総括ということで、自己採点で、100点満点中でこの16年は何点でしょうか。

(市長)

 これは、1期、1期も採点がなかなかできないので、これこそ他者評価に委ねたいと思っています。私個人としては、一応、思い切り胸を張れませんけれども、一定の胸を張って退任をできるかなとは思っています。

(記者)

 点数で言うと。

(市長)

 点数はなかなか難しいのですよ。自分に厳しい人と、甘い人がそこでまた見えてしまったりするから、ここはやはり遠慮しておきます。

(記者)

 財政で1点だけ。今年度、収支均衡予算に到達したわけですけれども、指標的には中位程度、そこまで財政基盤はゆがんでいないと。ただ、基金については33億円であると。中原新市長に、こういう財政状況で引き継ぐことに至ったことについてはどのようにお考えですか。

(市長)

 基金の面では申し訳ないと思いますが、これはいろいろな財産を新潟市が作ったからこうなったので、無駄遣いをしているわけではないということです。そして、おそらく基金をもう少し積んでおく財政運営もあったと思うのですが、そのやり方を取っても、この冬の大雪で基金を例えば、七、八十億円を積んでおいたら、それは半分取り崩しだねということになったと思うので、結果的にはあまり大きな変化はなかったのかなと。雪によってこうなったのだという言い訳を作るには、こちらを高くしておいたほうが良かったかと。そして、あとはやはりこの106億円、その中でも雪はどうしても地元の持ち出し分が大きいので、こういうものが起きることがあったと。これはやはり一定の基金を積んでおくほうがいいねという方向にきっと世論はいくと思いますので、今回はエアコンで特別また六十数億円という大きな支出があるので、それを飲み込んだうえに、さらに基金は早めに積んだほうがいいですよとは、なかなか次期市長にはお願いできませんけれども、早期にまず50億円回復するというのは、安心感にもつながるかと思うので、そこは財政当局が今、いろいろ引き継ぎの大事なポイントということで検討していますので、もちろんエアコンについては、中原次期市長にも確認をし、それはやるしかないと、やりましょうというお話を得たので、手を挙げさせていただいたということです。

(記者)

 基金の関係なのですけれども、合併建設計画が終わった年に150億円ぐらい残っていたと思うのですけれども、その2年でがばっと減っているのですけれども、そこでかじを切ってなだらかにするというようなことはやっても良かったのではないかと思うので、その辺りについてはどうなのでしょうか。

(市長)

 やはり昭和の大合併への申し訳なさみたいなものはありました。50億円くらい内輪より多く積んでいたのだから、もう少し昭和の大合併地域に頑張ってもいいかなということが2014、2015の予算編成だったということで、基本的には最低もう1年、今年度の予算編成のやり方で、基金は50億円以上は確保するのだというやり方もあったとは思っています。それも、雪で同じようになるだろうけどねということですけど。

(記者)

 16年市長をやられて、80万都市のトップを張る中で、難しかった点、トップとしての難しさみたいなものを感じたときはどういうときですか。

(市長)

 私も16年前はしがらみがないということを大きなアピールポイントにしていましたけれども、合併協議の最初のころからずっと関わって、合併地域の思いや悩みや痛みも全部受け止めてやってきた、そのことが合併建設計画で約束したことはしっかりやり遂げましょう、そして、合併地域のことについても思いをいたしましょうと。それが最後、あなたのしがらみではないですかと言われると、それは、今、全くしがらみがない16年でしたということは言えませんよね。そのバランスが全体を良くすることと、部分を良くしてほしいという地域のそれぞれの思い、これをバランスよく保ってまちづくりをしていくということは、本当に面倒くさいねということは感じています。

(記者)

 その面倒くささという部分も踏まえて、今の結果がそのように出ているという状態の中では、そのしがらみというものを取り払うという判断というか、そういった部分は。

(市長)

 私が5期目は出ないという思いの一番は、潮時という感じでしょうか。土台を作って、この土台の上に新しい人が、特に県は新しい指揮官が決まったので、その段階で大体、ここはもう潮時ですと考えました。

過去の市長記者会見

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