このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動

サイトメニューここまで


本文ここから

水道のあゆみ「誕生」

更新日:2012年6月1日

堀

新潟は、信濃川の河口に港町として生まれ栄えてきました。町には、八千八川(はっせんやかわ)、水の都とうたわれたほど縦横に堀をめぐらし、町の人たちは、堀の水を生活用水にしていました。

販水船
販水船

町が大きくなり人口も増えるにつれ水質も悪化すると、水売りの業者が現れるようになりました。水売りは販水船(はんすいせん)という船で信濃川の中流のきれいなところから水を汲んできて売っていました。

ろ過船
ろ過船

明治10年に県は、それまで野放しであった販水船に衛生面からの規制をかけ、これによって、船には簡単なろ過設備が付けられるようになりました。

木樋管と井戸
木樋管と井戸

新潟市に市政が施行された明治22年、民間人、吉川武戌(たけもり)、大塚艮城(こんじょう)らの手による水道がつくられました。
関屋の砂丘地帯の地下水を水源に、現在の古町通10番町のあたりまで、木樋管(もくひかん)という木の水道管でつなぎ、ところどころに設けた井戸を使って給水していました。
しかし、利用者が少なく採算がとれなかったことなどからわずか2年で廃止となりました。

W.K.バルトン
W.K.バルトン

明治20年に日本最初の近代水道が横浜市に生まれ、新潟市でもコレラの流行や大火の発生などから、官民の間に水道創設の気運が高まってきました。このため、市は明治27年に内務省顧問技師のバルトンに水道布設の調査を委託しました。しかし、工事費が巨額のため実現にはいたりませんでした。その後、水道布設の声が一層高まったため、明治33年上水道布設調査委員会を設置し、あらためて調査・設計を行いました。

水道布設認可証
水道布設認可証

公設共用水栓
公設共用水栓

明治39年にこの設計に基づき国に計画を申請し、翌40年に念願の許可がおりました。給水人口は、当時の市の人口より2割多い6万5千人、事業費はおよそ110万円で、当時の市の歳出予算額の9倍にあたりました。

関屋ポンプ所(明治43年ころ)
関屋ポンプ場 (明治43年ころ)

明治41年に水道部が設置され工事に着手、明治43年10月1日 関屋浄水工場での喜びの通水とともに、全国19番目の近代水道がうぶ声をあげました。当時の給水方式は専用給水と共用給水の2種類で、住民の事情に応じて共用水栓を設けていました。一般家庭の水道料金は一定の額に決まっていました。

つぎ「成長」へ

このページの作成担当

水道局 総務課
〒951-8560 新潟市中央区関屋下川原町1丁目3番地3(水道局本局本庁舎3階)
電話:フリーダイヤル0120-411-002(ご利用できない場合は025-266-9311) FAX:025-233-4503

このページの作成担当にメールを送る

本文ここまで


以下フッターです。

新潟市役所

市役所庁舎のご案内

〒951-8550 新潟市中央区学校町通1番町602番地1 電話 025-228-1000(代表)

開庁時間

月曜日から金曜日の午前8時30分から午後5時30分(祝・休日、12月29日から1月3日を除く)

※部署、施設によっては、開庁・開館の日・時間が異なるところがあります。

新潟市役所コールセンター

(受付 午前8時~午後9時:年中無休) 電話025-243-4894

市政の手続や制度、イベント、施設などに関するお問い合わせにお答えしています。

Copyright(C)2012 Niigata City. All Rights Reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る