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水道のあゆみ

最終更新日:2018年1月12日

誕生

新潟は、信濃川の河口に港町として生まれ栄えてきました。町には、八千八川(はっせんやかわ)、水の都とうたわれたほど縦横に堀をめぐらし、町の人たちは、堀の水を生活用水にしていました。

町が大きくなり人口も増えるにつれ水質も悪化すると、水売りの業者が現れるようになりました。水売りは販水船(はんすいせん)という船で信濃川の中流のきれいなところから水を汲んできて売っていました。

明治10年に県は、それまで野放しであった販水船に衛生面からの規制をかけ、これによって、船には簡単なろ過設備が付けられるようになりました。

新潟市に市政が施行された明治22年、民間人、吉川武戌(たけもり)、大塚艮城(こんじょう)らの手による水道がつくられました。
関屋の砂丘地帯の地下水を水源に、現在の古町通10番町のあたりまで、木樋管(もくひかん)という木の水道管でつなぎ、ところどころに設けた井戸を使って給水していました。
しかし、利用者が少なく採算がとれなかったことなどからわずか2年で廃止となりました。

明治20年に日本最初の近代水道が横浜市に生まれ、新潟市でもコレラの流行や大火の発生などから、官民の間に水道創設の気運が高まってきました。このため、市は明治27年に内務省顧問技師のバルトンに水道布設の調査を委託しました。しかし、工事費が巨額のため実現にはいたりませんでした。その後、水道布設の声が一層高まったため、明治33年上水道布設調査委員会を設置し、あらためて調査・設計を行いました。

明治39年にこの設計に基づき国に計画を申請し、翌40年に念願の許可がおりました。給水人口は、当時の市の人口より2割多い6万5千人、事業費はおよそ110万円で、当時の市の歳出予算額の9倍にあたりました。

明治41年に水道部が設置され工事に着手、明治43年10月1日 関屋浄水工場での喜びの通水とともに、全国19番目の近代水道がうぶ声をあげました。当時の給水方式は専用給水と共用給水の2種類で、住民の事情に応じて共用水栓を設けていました。一般家庭の水道料金は一定の額に決まっていました。

成長

市勢の発展とともに水需要も伸び続けました。市は施設の拡張を迫られましたが財源が無く、水不足に対処するため、水道料金を定額制から全戸計量制に切り替えました。そして、昭和3年に万難を排し給水人口11万5千人、一人一日最大125リットルを計画して 第1回拡張事業に着手、およそ310万円を投じ、3年あまりの年月をかけて昭和6年に完了しました。
これにより、寺地取水所と青山浄水所が新設され水道水の塩素消毒が行われるようになりました。また、船舶給水も本格的に開始されました。

その後も、近隣市町村との合併など市はめざましい発展を続け、水不足に対する抜本的解決策として、信濃川右岸に近代設備を備えた鳥屋野浄水所を新設することになり、昭和30年に給水人口22万5千人、一人一日最大300リットルとする第3回拡張事業に着手 配水管の布設を合わせ3億9,600万円を投じて昭和38年に完了しました。また、昭和27年の地方公営企業法公布をうけて水道局が発足しました。これにより、会計制度が一般会計から公営企業会計へと移行しています。

第二次世界大戦後は、戦災を免れたことで人口が集中し、水需要が急増したため 一日12時間も給水制限をしなければならない状況になりました。このため、昭和23年に、給水人口15万人、一人一日最大185リットルとする 第2回拡張事業に着手、およそ3,800万円を投じて昭和26年に完了しました。

試練

昭和39年6月16日午後1時2分、新潟市は関東大震災に匹敵する大規模な地震に襲われました。震源は粟島付近の海底で、地震の規模はマグニチュード7.5。
ビルは傾き倒れ、昭和大橋は落橋し、津波と地下水噴出で低地帯は水浸しになりました。
水道は、配水ポンプが停電で止まり、水道管も破壊されて市内全域で断水しました。電話が通じず交通も機能しない状況の中で、水道局では全職員を動員し、すぐに被害の調査に取りかかりました。

翌17日には県内各地から、18日以降は東京都、名古屋市をはじめ全国各地から給水車の応援隊が到着して、応急給水を開始しました。

同時に、復旧作業にも全力を注ぎましたが、水道管の約7割が被害を受けていて作業がなかなか進まず、給水車などによる運搬給水は45日間と長期化。
配管による各戸給水となるまでに約3カ月を要しました。

発展

市の商工業の躍進は著しく、水道もこれに対応するため、昭和38年に給水人口50万人、一人一日最大600リットルとする第4回拡張事業に着手しました。
新潟地震で一時中断しましたが、地震から得た教訓を取り入れて再開し昭和53年に完了、15年に及ぶ長期事業となりましました。この中で、南山配水場と阿賀野川浄水場が新設されました。

また、平成4年完了の第5回拡張事業では、竹尾配水場が新設され、一日の配水能力は36万立方メートルになりました。

昭和50年代から給水量の伸びも穏やかになり、水道は拡張の時代から維持管理の時代に移行していきます。
質的向上も求められる中、より安全で良質な水を確保するため、いち早く昭和54年に水質管理センターを建設し、検査機器を充実させるとともに検査体制の強化を図っています。

平成12年から老朽化した鳥屋野浄水場に替わる信濃川浄水場の建設を進め、平成17年10月に通水を迎えました。
水道局では高水準の水道を構築するため、
「安定給水の確保」
「水質の安全性確保」
「給水サービスの向上」
を目標に今後も事業運営に一層努力してまいります。

このページの作成担当

水道局 総務課
〒951-8560 新潟市中央区関屋下川原町1丁目3番地3(水道局本局本庁舎3階)
電話:フリーダイヤル0120-411-002(ご利用できない場合は025-266-9311) FAX:025-233-4503

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