いい所だっぺ

『養豚と白菜の町』。どこからどう聞いても、おしゃれな町のイメージなんて、これっぽっちも浮かばない。私は、そんな茨城県の小さな町に生まれ育った。実家は小さな駄菓子屋をしており、いつも子どもからお年寄りまで、いろんな年代の人たちが集まっていた。 「どしたんだ~?」 「今日は、もう仕事やめっぺ。終わりにすっぺ~」 駄菓子屋に飛び交う茨城弁の嵐。小さい頃から、方言の渦の真ん中で育った私にとって、そこはいるだけでほっとするような場所だった。なんとも、安心するのだ。 でも思春期ともなれば、話は変わってくる。都会に憧れを抱き、そんな茨城をとにかく恥ずかしいと思うようになった。両親と東京などへ出かけた時には、その思いが絶頂となる。原因は父。もともと声が大きい上に、茨城弁の模範とも言うべきほど、素晴らしい茨城弁を、狭い電車の中だろうが、お店の中だろうが、平気でしゃべりまくる。私は必死で、知らない人のふりをするのだった。憧れの東京のために、目一杯お洒落をしてのぞんだのに、これでは田舎者であることがバレてしまうではないか。そう下を向きながら、心の中で訴えていたのである。でも当の本人である父は、そんなことは一向にお構いなしで、楽しくて仕方がないという感じだ。こっちはあなたのせいで、楽しくなくて仕方がないというのに。 そんな私は、やはり都会に憧れて、大学入学とともにひとり暮らしを始めた。その頃、どんな質問よりも嫌だったのが、 「どこ出身?」 この言葉である。できることなら、その話題には触れないで欲しい。そう思いながらも、苦笑いで答える。 「い、茨城なんだよね。田舎でさ~」 と言う私。何も悪いことはしていないのに、何だかちょっぴり後ろめたい気持ちになる。 都会に憧れてスタートした晴れのひとり暮らしも、最初のうちはかなりのホームシックに悩まされた。慣れない土地で、周りは知らない人ばかり。憧れの標準語も、時には冷たく感じることさえあった。帰宅すると、何だか無性に悲しくなって、一人泣いた日もある。そんなある日、『茨城の白菜』と書かれた段ボール箱が届いたのである。 「もう、こんな恥ずかしい箱に入れて送らないでよ」 悲しみと悔しさと、いろんな気持ちが入り混じった所へ届けられた、薄汚れた段ボール箱。それは、自分の惨めさを余計に大きくするものだった。 イライラしながら箱を開けると、レトルト食品だの、乾物だの、調味料だの、いろいろなものが入っていた。両親が、食べることを何よりも心配してくれてのことだった。 その中に、新聞紙に包まれたものが見える。包みを開けると、泥のついた地元の野菜の山だった。何だか妙にほっとして、すぐに野菜の泥を水で洗いに行った。とにかく、早く野菜を口に入れたかった。届けられた新鮮野菜は、あっという間に味噌汁の具に変身した。あの時の味噌汁の味は、今でも忘れることができない。 あれから二十年。私は、格好悪いと言っていた、故郷茨城県に住んでいる。何かあるといつも、遠くに暮らす友人やお世話になった人たちに、名産の豚肉の味噌漬けを贈っている。 「本当にやわらかくて美味しいから、食べて食べて。養豚の町だから美味しいんだよ」 どの口がそんなことを言っているのかと言われそうだ。そして、 「どこ出身?」 「茨城だよ」 にこにこ顔で即答できる自分もいる。生まれ育った場所は、戻ってくるべき場所なんだろうな。歳を重ねるにつれて、そんなことを思うようになった。 ただ田んぼが青いこと、ただ虫の声が聞こえること。当たり前のいつものことが、幸せで仕方なく思えるようにもなった。そして、一人でも多くの人たちに、この場所に足を運んで欲しい。故郷の魅力を知って欲しいと、心から願っている。 今はもう、茨城弁が飛び交っていた駄菓子屋はない。電車が通り、町が発展していくにつれて、年々茨城弁を話す人も減ってしまった。でも、時々お年寄りの年季の入った茨城弁を聞くと、心の中がほんわか温かくなるのを感じる。そして、無性にこう言いたくなってしまうのだ。 「いい所だっぺ、茨城は」 小田部 早苗