潟東歴史民俗資料館 安政江戸大地震浮世絵版画「鯰絵」展
最終更新日:2018年1月18日
事業は終了しました。
概要
潟東歴史民俗資料館では、安政江戸大地震浮世絵版画「鯰絵」展と題し、企画展を開催しています。
江戸時代後半、社会不安が増大しました。例えば、天保の改革の失敗、外国船の来航(黒船)、討幕運動、自然災害等がありました。
自然災害のうち、地震では越後地震(三条地震)文政11年(1824)、善光寺地震 弘化4年(1847)、小田原地震 嘉永6年(1853)、伊勢・東海・南海地震 安政1年(1854)と連続して大地震が発生していました。
そこに安政2年(1855)江戸の市街地を中心に大地震が発生しました。百万都市に発生した大災害です。被害も死傷者1万人弱、焼失・倒壊家屋多数・地割れ等が各地に発生、稀に見る大惨事となりました。
人々は大災害の悲しみ、苦しみを乗り越え過しました。その一つの役割が「鯰絵」であった可能性があります。
鯰絵は地震発生の直後から発行された浮世絵版画(錦絵)です。瓦版としても配布されているので、現在の新聞の役割も兼ね、被害状況を伝えています。
展示品の中には災害発生時に発行された貴重な鯰絵があります。(老なまず)
その後、発行された鯰絵は約400種類、その内容は被害状況を伝えるもの、社会批判をするもの、地震の根源である鯰を叱責するもの等があります。
当時の人々には鯰を地震を発生させる悪物とする位置付けだけでなく、鯰も人間と同じく自然の中の一員として捉える心の豊かさを持ち合わせていました。
それが鯰絵で「地震のお蔭で仕事にありつけた。金廻りが良くなった」「地震のお蔭で生活が上向きになりそうだ」との期待感も植え付けられました。
それでは地震と鯰の関係はどうなっているのでしょうか。当時の人々の間には「鯰が地中で暴れると地震が発生する」との言い伝えがありました。その鯰を押える役割が鹿島神社の「要石(かなめいし)」です。この要石を管理しているのが鹿島大明神です。留守居役の恵比寿神が居眠りをしている間に鯰が暴れ、安政大地震になったと言い伝えられました。そのため鯰は地震被害者にとって敵役にならざるを得ませんでした。人々にとっても、誰を恨む訳にも行かない自然災害です。しかし、現実には筆舌に尽せない甚大なる被害が発生し、目の当りにしている訳です。その怒り、恨み、悲しみ等の矛先は地震発生の根源とされる鯰に向けられました。
鯰に対して思いのたけを発散することで怒り、恨み悲しみの気持の幾分かを減らす効果がありました。
鯰絵は被害者の辛い、悲惨な気持ち、怒り、恨み、悲しみをユーモラスを交え、漫画化する。その内容を話題として多くの人々の間に共感が拡がり、共有することが可能となりました。被害者にとっても辛い悲しみの気持を軽減することが出来ました。また、幕府に対しても庶民の気持ちを代弁する役割を果たしました。
このように鯰絵は被害情報を伝達すると同時に人々の辛い、怒りの気持と、併せ、鯰の滑稽さが笑いを誘い人々にとって大災害を乗り越える手がかりになった可能性があります。そのため、人々は競って「鯰絵」を購入、大量に販売されました。鯰絵が増えれば増える程、内容は多様化したに違いありません。被害者にとって精神的和らぎをもたらした鯰絵は歓迎されたに違いありません。
一方、幕府にとっては為政者への批判に当る内容も多くみられることから鯰絵を取り締まらざるを得ませんでした。こうして鯰絵はその役割を終えることになります。
この後、しばらくすると江戸時代は終り、新たな時代、四民平等を唱える明治時代(1868)を迎えることになりました。
今回の展示品は全て五之上 笹川氏が所蔵されている資料です。展示に協力いただいた笹川氏に心より感謝申し上げます。
しばらくのそとね
老(お)なまず
会期 | 平成29年10月31日(火曜)から平成30年1月14日(日曜)まで |
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会場 | 新潟市潟東歴史民俗資料館・樋口記念美術館 |
入館料 | 大人500円、小・中学生300円(小・中学生 土・日・祝日無料) |
お問い合わせ | 新潟市潟東ゆう学館(電話:0256-86-2311) |
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