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現代の花き園芸

最終更新日:2012年6月1日

昭和40年~

チューリップから花木栽培へ

 昭和40年代に入り、日本国内でも花を楽しむ余裕がでてきたころから切り花の促成栽培の需要が増えていきました。この促成栽培には海岸砂丘地産の球根が適していたことに加えて、戦前からの作付けが行われていた小合地区では連絡障害によって生育が悪くなり収穫が少なくなるなどの障害が発生し、昭和40年代以降、小合の球根生産は停滞傾向にはいっていきました。

 その後、連絡障害の回避策や、促成栽培技術の発達により砂丘地帯以外での促成栽培(切り花)が可能になり五泉や横越は大きな産地へと発展していきますが、小合地区の停滞は変わることはありませんでした。

 一方、花木類の生産は戦後次第に増加していき、戦前から栽培されていたアザレア、サツキの生産がふえ、石楠花・ツツジ・木瓜も主要な品目となっていきました。アザレアは昭和44年には県内の約60%を生産し、さつきにおいては昭和47年に一大ブームを呈し小合一体は景気に湧きました。

 戦前隆盛をきわめた牡丹・芍薬は減少傾向にありました。

さつきブームの到来

 (さつきについての文献がなかったので、新潟県皐月会会長上田氏からの聞き取りによるものを記載しています)

 戦前(大正の頃)からさつきの生産はありました。しかし、さつきそのものが生産の主流ではなく、果樹園の周りに植え込まれ、果樹栽培のサイドビジネスとしての位置づけでした。それを堀上げ、根洗したものを鉢に植え込み販売をしました。この頃のさつきは今見られるような盆栽づくりではなく、背は低く、横に広がったような作りだったそうです。特に剪定などはせず、そのままの樹型で販売されていました。

 その後、戦争を経て昭和30年(1955年)頃から始まった高度経済成長の波にのり、昭和40年頃にさつきブームが到来しました。もともとこの地域はアザレアなどのツツジ類の生産があり、挿し木の技術もあったことから徐々に生産が増え始め、昭和44年(1969年)~昭和48年(1973年)にさつき生産のピークを迎え、昭和48年には年間の生産量は250万~300万本にまで増えていきました。

 また、さつきを盆栽に仕立てるのもこの頃からはじまりました。

 その前から一部の開講者が針金等を使った盆栽作りを行っていたくらいで本格的に商売としては無かったそうです。また、その当時は花物の盆栽の評価は低く、盆栽はやはり松などが主流でした。

 上田氏の先々代は、「自分でも1万円の品物を作ってみたい」と思い立ち、従来の作り方(横に広がる形)から上に延ばした長尺物のさつきを生産しはじめました。春、へぎに挿し木(挿し芽)をし、苗を植え替え、翌年の春には40~50センチの長尺に仕立てたものを一へぎ5000円~10000円で販売したそうです。

 更にもう一年かけて生産した長尺の苗は1本当たり500円~1000円で売れたそうです。これらの苗は関東や関西へ出荷され現地ではその3倍の値で取り引きされました。(一へぎには42本入っていました。)

 このころは高速道路(当然関越トンネルも)もなく、関東へ出荷するときは三国峠を越えて出荷していましたが、峠を越えると3倍になることから「三倍峠」といわれたそうです(真偽のほどは定かではありませんが…)。

 また、簡単(簡単と行っても技術が必要ですが)に儲けることができたので「泥棒するより儲かる」てな事も言われたそうです

 しかし、このさつきブームも長く続くことはありませんでした。

 昭和48年(1973)のオイルショック以降、この煽りを受け、さつきブームは去っていき、その数年後以降停滞期に入っていきます。

 社会情勢の変化によって、花は育てる物から消費する物へと変わっていき、さつきに限らず盆栽のように手間のかかるものはなおのことです。また、住宅環境の変化も影響して置き場が確保できないことも要因のひとつかと思われます。

 しかし、ブームが去ったと言っても、さつきはまだまだ根強い人気があり、毎年開催されるさつきまつりには、県内外から多くのさつきファンの方々が新津地区を訪れてます。

ボケの生産

 ボケは、江戸時代の後半から花を観賞するようになり、大正時代の初期には急激に人気が高まり、越後小合園芸同好会から「放春花名鑑」が大正2年に発行され、27品種が載せられています。盆栽や花木生産地として知られる小合・小須戸地区と埼玉県の川口市とは、互いに交流があり、両地方でボケの育種(品種改良)が盛んになり大正年間にブームがおきました。その後一時期流行も去り、昭和30年代には生産地においても十種を探すのに苦労するといった時代がありました。昭和40年代にボケの良さが見直され、昭和50年代には各地で少しづつ品種の改良と保存が始まり、新たなボケのブームが始まりました。

 小須戸の加藤政明氏は、昭和40年代中ごろ、いち早くボケの花木としての魅力に着目し、昭和50年代から農業経営としてボケの栽培を始めました。本来ボケの接ぎ木は、9月から10月の農繁期に行ってきましたが、加藤氏は農業の閑散期である1月から3月に、接ぎ木ができる技術を確立して、ボケの栽培と大量流通を新潟県内で発展させるきっかけをつくりました。加藤氏は新品種の育種と開発に尽力し、今までに20種類以上の新品種を開発しています。そして、現在の日本ボケ協会発足のため中心的な役割を果たし、会員の勧誘や組織結成にも力を注ぎました。日本ボケ協会では、毎年3月に小須戸で「日本ボケ展」を開催して、春を呼ぶ行事として人気も高まってきました。これらの努力と今までの積み重ねで、小須戸を中心に全国一といわれるボケの産地となりました。

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〒956-8601 新潟市秋葉区程島2009
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